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驚きの江戸犯罪白書:ビーバップハイヒール【2016/12/08】

江戸時代は、単純に「天下泰平」というわけではなかったようです。

古文書に見る江戸犯罪考 (祥伝社新書)

古文書に見る江戸犯罪考 (祥伝社新書)

辻斬り

武士たちが人を斬る感覚を忘れないために、しばしば「辻斬り」という名の無差別殺人が行われていた。 しかも、犠牲者は家族などが引き取りに来るまで放置され、死体があちらこちらに転がっていたという。

大家と借家人

当時、長屋の大家と借家人は親子のような関係だった。税を納めていない借家人は、「旅行する」「結婚する」何をするにも大家の許可が必要だった。 逆に、長屋の借家人が犯罪を犯した時には、大家が「管理責任」を問われた。 ただ家を貸しただけなのに、島流しにされたケースもある。その連帯責任はかなり大きかった。 支払い能力はもちろん、人柄まで厳しく審査しないと、重罪に問われるリスクがあった江戸時代。 部屋を貸すだけでも命がけだった。

大泥棒の鼠小僧

鼠小僧のイメージといえば?

・お金持ちからしかお金を盗まない
・盗んだお金をばらまく

鼠小僧は実在し、鼠小僧次郎吉といって、1832年に処刑される(享年36)

・100ヵ所くらいの大名屋敷に入ってお金を盗み出した。
・盗んだお金は累計で3000両ほど(3億円相当)。
・お金はばらまいたのではなく、博打、女、飲食などで豪遊した。
・盗んだお金を使い切ったため、その地域にとって経済効果は大きかった。

巾着切り(スリ)の被害

巾着切りとは「スリ」のこと。

カミソリで巾着、つまり財布を切り中身を抜き取っていた。

当時、スリの数はとても多く、大阪の人口30万人に対し、スリは1万人近くいたという。

大坂町奉行は、被害を抑えるために変わったお触れが出された。

・今後、大阪の巾着切りは皆、水色の頭巾をかぶって稼業を行うこと。これを破った者は厳しく処罰する。
・大阪に住む者は、水色の頭巾を被る者は巾着切りなので、警戒するように。

というものだった。

そんなストレートすぎる内容で従う者がいるのか?と疑うが、なんと大阪のスリは皆水色の頭巾をかぶった。

いったいなぜなのか?

当時のスリは組織に属していた。その組織のトップと奉行所が組んだ。

大阪の町民は被害に会うことはなくなったが、よそから来た者は巾着のことを知らないため被害にあったという。

岡っ引きは元悪党

時代劇によく出てくる「岡っ引き」。犯人逮捕に欠かせない役だが、武士ではない。 当時、東京、大阪など都市部の人口は約50万人。それに対して、今でいう警察官はわずか30人。 街中を捜査するのは到底不可能。そのため捕まえた悪党の中から、罪が軽く優秀な者を選んで岡っ引きとして個人的に雇っていた。  
蛇の道は蛇とはまさにこれ、捜査や犯人検挙の際に、犯罪組織のネットワークを利用して解決することもあった。
江戸時代の治安は、悪をもって悪を制すことで守られていた。

とりあえず死刑

犯罪を犯した時の刑罰も今とは随分違っていた。 とにもかくにも「死刑」が多かった。

殺人、強盗、放火、不倫、詐欺、文書偽造、偽金、大八車で人を轢く、親にケガをさせる。

これ全部が死刑の対象。

盗みは、金額が10両以上の場合、死刑。

死刑が多かった理由には、

・見せしめ
・ 牢屋不足

があった。

江戸時代では、牢屋不足で囚人ですし詰め状態だった。

囚人のストレスを解消するために、猫を飼うことを許可した。これは結果大量に発生したねずみ対策としても効果があった。

↓刑罰の厳しさランキング。

のこぎり引き
→きなどののこぎりで斬られるなかなか死ねない。
 
牛裂き
→四肢を縛ったものを牛につなぐ、牛を一斉に走らせて四肢を引きちぎる。

ベスト3はあまりにも残酷だったため、江戸の後期には行われなくなった。

突然死はお家取り潰し

ある時、当主が妾に斬られて死亡。家臣たちはすぐにその妾を成敗した。

しかし、殺人事件が起きたにもかかわらず、「妾はおかしくなって自殺」「当主は病で床に臥せていた」と全く表沙汰にしなかった。

当時、武家の当主が殺されてしまう、又は突然死すると、武士にあるまじきこととして、その家は、お家取り潰しとなった。

仮に殺されても、世間に対しては病気になったこととし、跡継ぎを決めてから死亡を発表していた。

個人の死よりも家の存続、死に方まで自由にならないのが江戸時代なのだ。

駆け込み寺

江戸時代には、離婚調停を行う「駆け込み寺」があった。

男尊女卑が強かった当時、夫から離縁状を渡されない限り、妻は離婚できなかった。

どうしても夫から離れたい時は、駆け込み寺に、助けを求めるしかなかった。

妻を保護している間に、住職が夫を説得、大概はここで離婚となるが、夫が説得に応じない場合、妻が家に連れ戻されることもあった。

浮気事情

当時、男が洗濯物を人妻に頼むことは、愛の告白と同じ。とくに汚れて臭いのする「ふんどし」は不倫の炎を一層燃え上がらせたという。

捕まれば死罪、しかし庶民の間で不倫は日常茶飯事だった。

どうしても夫と別れたい、そんな江戸時代の人妻がとった行動とは?

「食事を腐らせる」「洗濯をしない」「昼間もずっと寝る」といった家事を放棄し、夫婦の営みを断り、挙句の果てに頭がおかしくなったようなフリをする。

女性から離婚することができなかった時代、わざと悪い妻を演じ、夫から別れを切り出させたのだ。

上流階級の妻の間でも不倫は日常だった。参勤交代で夫の長期不在は常のこと誘惑はいくらでもあった。

しかし、もし不倫がバレてしまった場合、妻を寝取られた武士は、「妻敵(めがたき)討ち」といって、その場で2人を討ち殺しても罪に問われなかった。

ところが、妻敵討ちをすれば、不倫されたことを認めることになり、寝取られた夫として、世間からバカにされ、仲間外れにされ、武士として生きていけない。

そのため、不倫相手に、首代(=慰謝料)を払わせて示談にするというケースがほとんどだった。幕府はこれを推奨していて、金額も7両2分(現在の約80万円)と相場が定められているほどだった。


古文書に見る江戸犯罪考 (祥伝社新書)

古文書に見る江戸犯罪考 (祥伝社新書)