「なんで泥棒といえば、唐草文様の風呂敷なのか?」という疑問がありました。
唐草文様の風呂敷が作られるようになったのは、今から120年ほど前の明治30年頃。
それまで、風呂敷の柄は、「無地」や「しま柄」などシンプルなものが多かったそうです。
そんな中で登場した、唐草文様の風呂敷は大ヒットとなりました。
ちなみに、唐草文様の「唐」は「外国」、「草」は「つる草」で、海外から伝わってきました。
つる草は、生命力が強く、茎を四方八方に伸ばしていく様子から、長寿や子孫繁栄の象徴とされ、昔から非常におめでたいとされてきました。
そんな縁起が良い唐草文様が描かれた風呂敷は、結婚する際、嫁入り道具を包む道具としても重宝されたそうです。
そして、高度成長期真っ只中の昭和40年に人気はピークをむかえ、180cm幅の風呂敷で、年間 約150万枚もの生産量をほこりました。
(この風呂敷で物を包んで担いで歩いている人の姿が日常的にありました。今の人が見たら泥棒が歩いているようなイメージに見えるかもしれません)
このように、人気となった唐草文様の風呂敷は、どの家にもありました。
では、どうして泥棒は唐草文様の風呂敷を持っているイメージになったのでしょうか?
それは、泥棒が盗みに入った時の手順にありました。
狙いを定めた民家に侵入、この時、泥棒は手ぶら。
早速、向かうのが、タンス。
そして、一番下の引き出しを開けると、そこにあるのは、唐草文様の風呂敷。
人気だったため、どの家庭でも、タンスの一番下の引き出しに入っていました。
昔からタンスは、上の方に着物や宝石など高価なものを、下にいけばいくほど、ふだん使う物を入れていました。
唐草文様の風呂敷は、日常使いするものなので、タンスの一番下の引き出しに入れておくことが多かったのです。
泥棒は、その唐草文様の風呂敷をその場で調達、次に、下から2段目の引き出しから高価な服を盗みます。
そして、引き出しを閉めることなく、下から順番に効率よく物色。
最後に、唐草文様の風呂敷で包んだら、後は逃げるだけ。
昔はどの家にも普通にあった風呂敷なので、泥棒が風呂敷を担いだまま外に出ても目立ちません。
さらに、人気マンガなどで描かれた泥棒も当然唐草文様、
その後、風呂敷はあまり見かけなくなりますが、「泥棒=唐草文様」というイメージだけが今に残ったのです。