学校で上履きを履くのはなぜ?という話がありました。
これを、中西宏次 さん(元 京都精華大学 人文学部 特任教授)が説明していました。
学校で上履きを履くのは、土足で上がると校内が汚れてしまうからだ、と考えてる人が多いが、それだけではない。
実は、「出入り口」を1つにするためだとも言える。
そもそも、日本では家に上がる時、玄関で靴を脱ぐ。
江戸時代に庶民が通った寺子屋でも、生徒たちは履物を脱いで学んでいた。
寺子屋とは、学校の前身といわれる教育施設で、その多くは、お寺や先生の自宅を使っていたため、生徒たちは履物を脱いで教室に上がっていた。
しかし、この時、まだ上履きはなかった。
上履きを履くようになったキッカケは、明治時代の初めに政府が行った近代化政策。
欧米諸国のような近代的な国家を目指す一環として、明治5年、子どもの教育を義務付けた(学制)。
寺子屋は、学びたい人だけが通う場だったが、多くの子どもたちが教育を受けることになった。
こうなると、寺子屋の建物だけでは足りない。
そこで、初めて学校が建てられる。
その時、建てられたのが「洋風建築」の学校。
洋風建築は、履物を脱いで上がる場所としての玄関が基本的にはなかった。
一般的に、和風建築は、玄関で履物を脱いで上がるのが前提だが、洋風建築の建物は、履物のまま中で過ごす造りになっているため、基本的には玄関がないのだと考えられている。
明治8年に建てられた、山梨県甲斐市の睦沢学校の平面図を見てみると、
履物のまま過ごす洋風建築なのに、履物を脱ぐためのスペース「土足室」が設けられている。
明治9年に建てられた、長野県松本市の旧開智学校の平面図にも、
「傘履物置場」と書かれた場所がある。
どちらの学校も、生徒たちは履物を脱いでいた。
履物を脱いで上がるという習慣を簡単に変えることはできなかったと思われる。
その結果、洋風建築なのに、履物を脱ぐための、今で言う「昇降口」のある日本独特の建物になった。
しかし、洋風建築の校舎は床が板敷きになっていて、冬場はかなり冷たくなってしまうことなどから、履物なしで過ごすには適していなかった。
そこで、履物を脱いでから、校舎の中で過ごすための上履きに履き替えることになった。
これこそが上履きが生まれたキッカケだと考えられる。
そして、上履きに履き替えることで、生徒たちは、登下校時に必ず昇降口を通ることになる。
これによって、校舎への出入り口を1つにすることができる。
もし、土足のまま校舎に入ることができるなら、昇降口以外の扉からでも教室に行けてしまう。
しかし、上履きに履き替えることにすれば、下駄箱がある昇降口を必ず通ることになる。
こうして、出入り口が1つになると、学校側は子どもたち1人1人をしっかりと見守ることができ、安全を確保できるようになる。
ちなみに、地域によっては上履きを履かないところもある。