家紋は何のためにあるのか?という話がありました。
これについて、家紋を研究して20年の高澤等 さん(日本家紋研究会 会長)が説明していました。
家紋は、もともとは、自分より目上の人に道を譲れるようにするため。
これには、平安時代、貴族の間で広まっていた「路頭礼」が大きく関わっている。
簡単に言うと、道で他人に合った時の礼儀作法。
目上の人には道を譲るといったようなもの。
平安時代、貴族たちの乗り物といえば、牛車(ぎっしゃ)。
しかし、牛車には、御簾(みす)というすだれがかかっていて、誰が乗っているかわからない。
道で鉢合わせした牛車に乗っている人物が、自分より目上なのか、ひと目では判断できず、
道を譲るべきか、自分が先に進んでいいのか、迷ってしまう事態になる。
そこで、牛車に独自のマークをつけて、誰が乗っているかわかるようにしたいということで、家紋が発生した。
ここで、1つ疑問が。名前を書くのはダメだったのか?
名前など、文字というものは、教養のある特定の人しか読めなかった。
そういう時に、形・図で表すのが家紋であり、文字が読めない人でも判断できた。
鎌倉時代になると、家紋は貴族だけでなく、武士も使うようになった。
戦場や陣地に、家紋がついた旗や幕があると、敵味方を区別できる。
そして、武士がどのような戦功をあげているかも、ひと目で判断できるようになった。
武士は、自分の手柄をアピールするために、家紋を持ち始めた。
そして、江戸時代になり、戦がなくなると、家紋は様々な階級の武士が集まる「儀礼の場」で、重宝されるようになる。
江戸時代では、武士同士の礼儀作法は非常に複雑になった。
家の格や役職、立場によって、あいさつのやり方などが違った。
礼儀を間違えると出世に関わる。着物やちょうちんかごなど、持ち物についた家紋で判断された。
そのため、江戸時代には、「武鑑(ぶかん)」という本が出版された。
武鑑とは、大名や幕府の役人のプロフィールをまとめた本で、いわば、武士の選手名鑑のようなもの。
そこには、その家の家紋をはじめ、出身地、家系、役職、当主の名前などの情報が、事細かに記されている。
つまり、これを見て、いざ会った時に、その人がどこの誰で、どのような身分の人かが、家紋でわかり、どのような礼儀で接するかわかった。
そして、家紋は歌舞伎役者など、家柄を大事にする芸能の世界や、商店の店先に掲げるなど、一般庶民にも広がる。
名字を持たない庶民でも、家紋を持つことは禁止されていなかった。
そのため、江戸や大坂などの大都市を中心に、人気の歌舞伎役者のまねをして、その家紋をつけるというようなこともあった。
江戸時代に 一般的になった家紋が、今ではあまり身近ではないのはなぜか?
明治時代になると、ほとんどの人が読み書きできるようになり、名字さえあれば、家紋の必要性がなくなってしまったことや、
さらに、西洋の文化が日本に入り、洋服を着る機会が増え、家紋の入ったいわゆる紋付きの着物を着る機会が減ってしまったことも、
家紋を目にする機会が少なくなった原因の1つではないかと考えられる。
しかし、先祖代々、その家が引き継いできた家紋は、現在でも、お墓や着物、羽織、そういうものに残されている。