おでんの「でん」って何?という話:チコちゃんに叱られる!【2020/02/07】

おでんの「でん」って何?という話がありました。

この疑問に、料理研究家の渡辺あきこさんが答えていました。

実は、おでんの「でん」は「豆腐」のことだといいます。

串に刺して焼いた豆腐を「田楽(でんがく)」というが、その田楽の「でん」から「おでん」になった。

実は、「田楽」というのは、もともとは食べ物の名前ではなく、

平安時代、豊穣祈願のために踊られた舞のことを指す。

豆腐を串に刺した様子が、この舞を踊っている人の姿に似ていたことから、この料理は「田楽」と呼ばれるようになった。

この料理が宮中に入り、やがてこの田楽をそこに仕える女性たちが呼ぶ際に、上品な言葉遣いとして、頭に「お」をつけました。

つまり、「お田楽」。これが省略されて「おでん」になったと言われている。

江戸時代になると、屋台で売られるようになり、うどんやだんごなどと並び、江戸の町で人気に。

さらにおでんの種類も増えていった。

ここまでは「おでん」とは、まだ「串に刺して焼いたもの」のこと。

おでんが現在のように、鍋で煮込んだ形に変わったのは、おそらく江戸時代後期。

千葉県の銚子や野田の辺りで、しょうゆの製造が盛んになったことがきっかけで、

江戸では、しょうゆ味で煮込んだおでんが誕生したのではないかと言われている。

この江戸でしか食べられていなかった煮込みおでんが、全国に広がった理由は?

大正時代になり煮込みおでんは、東京の料理人によって大阪に持ち込まれた。

しかし、当時関西のおでんは、串にさす田楽スタイルはっだったため、東京から持ち込まれた煮込みおでんは区別するために、「関東煮(かんとうだき)」と呼ばれた。

この関東煮は、濃いしょうゆベースだったので、関西の人々の口には合わず、関西風にアレンジされることになる。

しょうゆベースの濃い味付けから、関西特有の昆布だしを使った薄めの味付けに。

更に、たこ、牛すじ、クジラの舌などが加わり、関東煮は関西で大人気に。

そして、この関東煮は、ある出来事がきっかけで、今度は関東に戻ってくる。

その出来事とは、1923年に起きた「関東大震災」。

首都圏を中心に甚大な被害が及び、関東の料理屋さんも軒並み大きなダメージを受けた。

この時、関西の料理人が関東に集まり、炊き出しで振る舞ったのが関西風にアレンジされた関東煮。

つまり、現在、私たちがイメージする、だしベースの「おでん」だった。

これ以降、関東でも、関西風のだしベースのおでんが一般的となり、

今では、その「おでん」が全国に広まり、各地で愛される料理となった。