こちらは、「都道府県の人口ランキング」。
今でこそ「日本の人口ランキング1位は東京都」というのは常識だが、
人口はその時の情勢によって大きく変動するもの。
過去の人口の推移を調べてみると、各県の県境が徐々に変化していったことも相まって、かつては、さまざまな県が人口1位になっていた。
例えば、初めて戸籍をもとに人口を推計した1872年(明治5年)。
人口1位だったのは、「広島県」。
当時、近隣の大阪や京都で消費される「綿」や「かき」の一大産地として栄えていた。
多くの人が職を求めて広島に集まったといわれている。
さらに、1885年(明治18年)と1886年(明治19年)。
人口1位だったのは、「大阪府」。
この時代、渋沢栄一によって造られた大阪紡績がキッカケとなり、後に東洋のマンチェスターと呼ばれるほどに、次々と紡績会社が設立され、大阪に人口が集中した。
そして、現在人口トップの東京都が初めて1位になったのは、1893年(明治26年)。
明治維新により、明治政府が東京に開かれてからというもの、政治の中心機能が東京に集中しただけでなく、鉄道の敷設など、近代化が急速に進んだことで、地方から東京に移住して職を求める人たちが急増。
東京が人口日本一になった。
それ以降、多くの人が地方に疎開した1945年を除いて、全ての年で東京が1位に君臨している。
人口推計が始まり、東京が1位になるまでの21年間のうち、実に12回も人口1位になっていた県がある。
それが「新潟県」。
現在の人口ランキングでは、15位の新潟県だが、かつては日本を代表する大都市として栄えていた。
今でこそ、新潟は有数の米どころだが、江戸時代の初めごろは、その面影はなかった。
広大な土地はあるものの田んぼはあまりなかった新潟。
今の新潟平野の部分は、多くが潟や沼など、低湿地が広がっていて、お米が全く採れない場所だった。
しかし、江戸時代初期から越後の大名は、自給自足を実現するため新田開発を奨励。
すると、近隣の農家の次男坊、三男坊たちも自分の土地を求めて新田開発に参加。
そのまま移住したことから、人口は徐々に増加していったという。
その結果、明治には水田耕作面積も人口も新潟県が日本一となった。