「私は」は「は」と書くのに、なぜ「わ」と言うのか?という話がありました。
これについて、小木曽智信 先生(国立国語研究所 教授)が説明していました。
そもそも、「私は」や「あなたは」の「は」は、言葉と言葉をつなぐ役目をする言葉だが、
実は、この「は」と書いて「わ」と読むのは、時代が進むにつれ、発音がどんどん変わっていったから。
「は」を「わ」と読むのは、平安時代の終わりごろ。
奈良時代以前までは、「は」を「ぱ」と発音していたと考えられている。
そもそも、奈良時代まで「はひふへほ」という ひらがな・発音がなかった。
こちらは、奈良時代に作られた「日本書紀」という歴史書の一文。
奈良時代以前は、日本語の発音に、漢字を当てて文章を作っていた。
例えば、「和」は「わ」、「智」は「ち」などと読む。
こちらの文章は、「わがゆくみち」と書かれている。
奈良時代以前までは、今でいう「はひふへほ」は、漢字でこのように書いていた。
これを漢字がやって来た当時の中国の文献で調べると、「ぱぴぷぺぽ」に近い発音で読んでいたため、日本人は「は行」を「ぱ行」で発音していたと考えられる。
その後、平安時代になり、ひらがなが作られると、今度は「ぱ」が「ふぁ」という発音になった。
平安時代になると、「波」という漢字が崩され、ひらがなの「は」という文字が誕生。
しかし、この時も「は」という発音ではなく、「ぱ」でもなく「ふぁ」と読むようになった。
この発音の変化は、「は行」全てで起こっており、戦国時代に宣教師によって作られた日本語の教科書には、
実際に、「にほん」が「にふぉん」と書かれている。
なぜ、「ぱ」が「ふぁ」になったのか?
それは、楽だから。
人は発音する時、少しでもエネルギーを減らそうとしており、その結果、どんどん楽な発音に変化した。
その後、平安時代の終わり頃から江戸時代にかけて、「ふぁ」と言っていた「は」の発音は、2つに変化した。
言葉の頭に「は」がつく「ふぁし(箸)」や「ふぁっぱ(葉っぱ)」は、「はし」や「はっぱ」と発音するようになり、
それ以外の「私ふぁ(私は)」や「かふぁ(川)」などは、「私わ」や「かわ」と「わ」に発音が変化。
「ふぁ」から「は」と「わ」の発音に枝分かれした。
この理由も、楽だから。
これは、実際に口を動かすとわかる。
「ぱ → ふぁ → わ」と、どんどん力を入れないで言うようになっている。
つまり、「私は」の「は」は「ぱ」と言っていたが、発音を楽にするために変化。
しかし、ここで疑問が残る。
「私わ」ではなく「私は」と「は」を使うのはなぜか?
これは、政府が決めたこと。
戦前に使われていた国語の教科書を見ると、
戦前まで「おの(斧)」なのに「をの」、「おかし」なのに「おくゎし」など、当時は、発音どおりに文字を書いていなかった。
そこで昭和21年、吉田茂内閣によって、発音どおりにひらがなを書く「現代かなづかい」というルールが定められた。
このルールに従えば、「私は」は「私わ」と書くのが正しいが、「私は」の「は」は、主語に続く言葉として、平安時代以降ずっと使われていたため、いまさら「わ」に変えたら混乱してしまうと判断。
「私は」の「は」は、例外として、「は」のままにすることに決まった。
ちなみに、「は」の発音は、他の言葉でも変化している。
【今】はり(針)→ 【昔】パリ
【今】はは(母)→ 【昔】パパ