急がば回れの「回れ」って何?という話がありました。
これについて、国語の学び方を研究する 池田修 先生(京都橘大学 発達教育学部 教授)が説明していました。
「急がば回れ」という言葉が生まれたのは、江戸時代の琵琶湖。
京都・誓願寺(せいがんじ)の僧侶、安楽庵策伝が語った話を集めた「醒睡笑(せいすいしょう)」という本が、元になっていると考えられている。
この本に、
「武士(もののふ)のやばせのわたりちかくとも いそがばまわれ瀬田の長はし」と書かれている。
「やばせ」とは、滋賀県草津市 矢橋(やばせ)にある琵琶湖の船着き場のこと。
そして、「瀬田の長はし」とは、滋賀県大津市にある「瀬田の唐橋」という橋のことを指している。
当時、江戸から京都へ向かう道には、主に、東海道や中山道があった。
琵琶湖周辺にさしかかると、2つの道は交わり、瀬田の唐橋を渡って、京都へとつながるが、
もう1つ、矢橋の船着き場まで歩き、船で湖を渡る水路があった。
「急がば回れ」は、矢橋から出ている船に乗った方が早いけれど、
急いでいる時こそ、瀬田の唐橋から回った方が、安全だと言っている。
これはなぜか?
船の方が普通は早いが、天気が悪い日は、琵琶湖は湖が荒れやすい。
そんな時は、突風で琵琶湖の波は高くなり、船に危険があった。
そのため、危険な船で行くよりも、陸路の方が安全で、結果的に早く着く というのが「急がば回れ」。
つまり、「急がば回れ」は、たとえ近道でも、船で行くリスクを避けて、遠くても、安全な陸路の方が、結果、早くたどり着けるという言い伝え。
では、なぜ、琵琶湖周辺の言い伝えが、全国に広まったのか?
舞台となった滋賀県の草津市は、中山道と東海道がぶつかる町。
行き交う旅人の間で、「急がば回れ」の言い伝えが話題になり、全国へ広まったと考えられている。
当時、琵琶湖周辺は、草津宿という旅人で賑わう宿場町だった。
その場所が、当時、琵琶湖を船で渡るか、遠回りして橋を渡るかを決めた分岐点だった。