おやつは、なぜ3時なのか?:チコちゃんに叱られる!【2022/10/21】

おやつは、なぜ3時なのか?という話がありました。



これについて、食文化史研究家の 永山久夫 さんが説明していました。

”おやつ”という文化が生まれたのは、江戸時代の中期。

そもそも、「八つ刻」に食べられていた間食。

今の時間でいうと、大体、午後2時から4時。

今は当たり前のように、1日を24時間で数えているが、

江戸時代の人々は、「不定時法」という時刻を使っていた。

「不定時法」とは、日の出と日没を基準として、昼と夜を それぞれ6等分したもの。

現在の時刻で言うと、午後2時から4時ごろにあたる時間を「八つ刻(やつどき)」と呼んでいた。

当時、時計は高価だったため、お寺などが鐘や太鼓を鳴らし、

8回鳴れば八つ刻の始まり、というように時刻を知らせていた。

江戸の町の労働者は、この八つ刻に仕事の手を休めて、間食を食べる習慣があった。

その八つ刻に食べる間食のことを丁寧に”御”をつけて、「御八つ(おやつ)」と呼ぶようになった。

当時「御八つ」として食べられていた間食は、そばや天ぷら、すしなど。

屋台が立ち並び、働く江戸の人々の小腹を満たしていた。

更に、8代将軍の徳川吉宗が、砂糖の国内生産を奨励。

江戸の町では、高級品だった砂糖が、安く入手しやすくなった。

その結果、現代と同じように、まんじゅう・大福・汁粉など、甘いものを好む人が増えていった。

寺子屋(現代でいう学習塾)が、庶民の間で一般的になってくると、その下校時刻も八つ刻。

つまり、おなかをすかせて帰ってきた子どもたちも、この頃から御八つを楽しみにしていた。

では、午後2時から4時だったはずのおやつが、なぜ3時になったのか?

江戸時代の人々は、時間に追われることなく、のんびり暮らしていた。

しかし、次第に、幕末にかけて西洋人との交流が増え、不都合が起こった。

当時から、西洋の国々では、現在の日本と同じ、1日を24時間で数える「定時法」を採用していたため、

例えば、八つ刻に約束をすると、午後2時にやって来る外国人と、ゆっくり行動していた日本人とでは、

時間の感覚に大きな違いがあり、トラブルが起こっていた。

江戸時代の庶民にとっては、1分1秒をはかるすべはない。

今のような細かな時間間隔はなく、のんびり過ごしていた。

当時のオランダ海軍が記した日記「長崎海軍伝習所の日々」にも、

「日本人の悠長さといったら呆れるくらいだ。」と書き残されている。

更に、明治時代に入ると鉄道が開業。

人々は、次第に、細かな時間を意識するようになった。

その結果、明治6年、政府は、不定時法を廃止して、

「今後 時計の時刻について昼夜を等しく24に分ける」という「定時法」を採用した。

八つ刻と言われていた時間を24時間に当てはめると、「午後3時前後」となった。

「御八つ」のことを「お3時」と呼ぶ人もだんだん増えた。

こうして、3時のことを「八つ刻」「御八つ」と言っていた習慣から、

3時に食べる間食のことを「おやつ」と言うようになった。

ちなみに・・・、

おやつを3時に食べることは、体にとってもベスト。

人の体には、脂肪をため込もうとする遺伝子「BMAL1」があり、午後10時ごろ〜深夜に活発になる。
最も働きが低下するのが、午後3時ごろで、その時におやつを食べても、脂肪になりにくい。