ブレイクダンスの「ブレイク」ってなに?という話がありました。
これについて、ブレイクダンスをはじめとするヒップホップの歴史に詳しい、
ミュージシャン、DJ MARSKI(マースキー)さんが説明していました。
ブレイクというのは、曲の1番と2番、歌と歌の間のボーカルが入っていない部分。
ボーカルがお休みしてる間奏の部分で踊る。
これがブレイキン、ブレイクダンスのキッカケになった。
「ブレイク(Break)」という言葉には、「壊す」という意味以外にも、
コーヒーブレイクなど、「休息・休止」という意味もある。
その「休止」の意味から、ボーカルが休止するイントロや間奏をまとめて、「ブレイク」と呼ぶ。
ブレイクのパートで踊る、そこから、どんどん盛り上がっていく、ムーブメントみたいなところで、
「ブレイキング」や「ブレイキン」というダンスに対しての呼び名が付いていったというのが始まり。
「ブレイクダンス」が誕生したのは、今から約50年前(1970年代初頭)。
アメリカのニューヨーク市にあるブロンクス地区で始まった。
当時、この地域は、不景気や人種差別など、さまざまな理由から、
仕事を失い行き場を失った若者たちであふれ、ケンカや暴力が絶えない荒れた街だった。
当時のブロンクス地区は、貧困層・低所得者地域で、
若い人たちが、何か楽しむ術(すべ)として、音楽をかけてブロックでやるパーティーであったり、
公園で、仲間たちだけで楽しむ音楽パーティーを開いていた。
そこに、DJのクール・ハークという人がいて、
ボーカルのない自由度の高い部分ですごく盛り上がっているので、(間奏を)長く聴かせたらもっと盛り上がるのではないか
という発想の中から、「ブレイクビーツ」という音楽を生み出した。
2枚の同じレコードを用意し、歌のない間奏部分を交互に再生していく「ブレイクビーツ」は話題を呼び、
それと共に、間奏部分で踊るブレイクダンスは、若者のパーティーに欠かせないものとなっていった。
カンフーのアクロバティックな動きなどにすごく憧れている人たちが多くて、それをまねすることで、
いろんな所からインスパイアを受けて、ダイナミックな技を見せ合う。
さらに、ブレイキン(ブレイクダンス)とほぼ同時進行的に、起こっていたムーブメントの中で、
自分のライフスタイルや思いなどを、ことばにのせる子たちが現れ、ラップになっていく。
ダンスもあおって盛り上がっていく。そして、また新しいカルチャーができていく。
ラップの登場により、更に盛り上がるブレイクダンス。
しかし、この時は、あくまでニューヨークの一部でのブームだった。
それが、なぜ、今のように世界中で、ブレイクダンスが人気を集めるようになったのか?
現在、ブレイクダンスは、1対1やチーム同士で踊りを見せ合って戦うバトル形式が一般的。
そのバトルという形を生み出したのが、当時、ブロンクスの荒くれ者たちを束ねていたボス「アフリカ・バンバータ」という人物。
彼は、グループ同士の抗争などで、若者が命を落とす現実を嘆いて、暴力によるケンカはやめてダンスで決着をつけようと呼びかける。
この呼びかけに応じたブロンクスの若者たちは、ダンスバトルを始めた。
公園などで、今まで見たことのないアクロバティックな動きをするブレイクダンスを、当時の「ヴィレッジ・ヴォイス」という、ニューヨークの紙媒体で取り上げられ、初めて記事が出た。
メディアに紹介されたブレイクダンスは、1980年代には、続々と映画化され、
世界中の若者が、これまでなかったダンスや音楽に、夢中になっていく。
日本の若者も、原宿の歩行者天国など、街中で踊ったり、ブレイクダンスを始めたり、全国でブームを巻き起こし、テレビ番組でも紹介された。
そして、今や日本人のブレイクダンサーは、世界最高峰の大会で、優勝するまでになった。
身1つで、誰でもすぐに簡単に、ファッションなど関係なく、人種関係なく始められるのは、ダンスやラップの良さ。
ニューヨークの片隅のブロンクスで始まったブレイクダンスは、アクロバティックなダンスと、仲間同士のバトルによって進化し、
世界中で人気となり、今やオリンピック(2024年パリ)に正式採用されるまでになった。