美容院や床屋が月・火に休みが多いのはなぜ?という話がありました。
これについて、都市文化の歴史に詳しい、橋爪紳也 先生(大阪公立大学 教授)が説明していました。
美容院や床屋が月・火に休みが多いのは、
お客さんが多い土・日に営業して、平日を休みにするという理由もあるが、
一番の理由は、月曜と火曜に電気が使えなかったから。
その原因は、昭和に起きた電力不足。
昭和14年の夏と昭和15年の冬に、雨が降らず発電用のダムの水が干上がってしまい、
水力発電がストップしてしまう事態が起こった。
それならばと、火力発電でその分を補おうとしたが、燃料の石炭も不足していて、
火力発電も十分にできず、踏んだり蹴ったりな状態だった。
当時、日本では電力の70%近くを水力発電で賄っていたため、水不足で発電量が激減。
全国的に電気の使用を制限した。
しかも、昭和16年は日中戦争の真っ只中。
軍事用の物品や兵器を作るための工場に優先して電気を回すため、
市民が使う電気をさらに制限した。
そこで、一般の工場や商業施設などの電気を多く消費する所を対象に、
特定の曜日に、電気を節約する休電日が定められた。
電気を多く消費していた理容業界も休電日に協力。
美容院や床屋が電気を多く使っていたのには、当時流行っていた「ある髪形」が関係していた。
それがパーマ、現在のパーマはロッドという筒状のものを髪に巻き、パーマ専用の薬剤をつけて、その形を記憶させる薬剤のみを使った方法が主流。
しかし、当時のパーマのやり方は、電髪(でんぱつ)。
髪にロッドと薬剤をつけた後、今とは違い、髪に数十本もの電極をつけ、
電気で加熱して、ウェーブをつけていた。
こちらの機械には、24本の電極がついている。
これが爆発的に流行った。
西洋のオシャレな髪形への憧れと、髪を整える手間がいらないという手軽さから、
戦時中にもかかわらず、パーマをかける女性が急増。
美容院や床屋に大行列ができるほどだった。
パーマをかける機械自体も地方に広がっていき、全国的にパーマをかける女性が増えていった。
そのため、パーマに多くの電気を使用していた理容業界も、
休電日に協力せざるを得なかった。
この理容業界が協力した休電日は、地域によって曜日が違ったが、
大体、月曜日や火曜日を休みとする所が多かった。
電気が使えないと大人気のパーマ機は使えない。
休電日に合わせて店もお休み。
そして、戦後、日本が復興し、電気の供給が安定してから現在まで、
休電日に合わせて、店を休んでいた名残で、月曜や火曜に定休日のお店が多くなっている。