なぜ他人の目が気になるのか?という話がありました。
これについて、進化心理学を研究している、
石川幹人 先生(明治大学 情報コミュニケーション学部 教授)が説明していました。
私たちが、他人の目を気にするのは、石器時代を生き抜くため。
はるか昔、人は食べるものを探しながら放浪を続ける狩猟採集生活をしていた。
石器時代、人は100人ほどで集団生活をしていて、
その中で、狩りをする人、木の実を集める人、料理をする人など、
それぞれの役割をこなしながら、手に入った食べ物を平等に分け合い、暮らしていた。
この頃は、自分の集団以外の人と、接点を持つことは、ほぼなかったので、
自分に向けられる「他人の目」は、集団の中にいるよく知った人たちの目だった。
勝手知ったる他人の目に見られていることは、自分にプラスの影響を与えてくれる。
例えば、体調が悪い時に、すぐに気づいて助けてくれたり、
力が強くて粘り強い性格だと気付くと、狩りのチームに入れて、集団の中での居場所を作ってくれる。
信頼できる相手に見られていると、その人の役に立ちたいと思い、100%以上の力を発揮できることもある。
そうやって、集団自体も強くなることができた。
逆に、悪いことをしようとする時は、他人の目に見られていると、マイナスの影響があった。
例えば、食べ物を独り占めしようとしているのが見つかると、
仲間からの信頼を失い、集団から追い出されるということもあった。
そんなことになると、この時代、なかなか食べ物が手に入らず、
ひとりでは生きていけないので、死んでしまう。
つまり、いい時も悪い時も、他人の目を気にしていれば、
自分の居場所を守り、そこで協力して、皆で石器時代を生きていくことができた。
人が、このような生活を送り始めたと言われるのは、約250万年前。
そして、狩猟採集生活をやめて農耕を始め、今の文明社会になり始めたのは、約1万年前。
つまり、人間の歴史の99%以上は、石器時代。
この長い期間で、他人の目を気にすることが本能に深く刻まれた。
現在は、暮らし方が変わり、石器時代ほど他人の目を気にしなくても、
他人の目が気になってしまう石器時代の感覚が残っているからこそ、
自分の行動をコントロールし、人と人が共存できる社会を築けているとも言える。
現代社会では、人柄や素性をあまり知らない他人の目が、私たちに向けられることが多くなった。
その結果、周りにいる人が何を考えているのか、想像しづらくなってしまった。
すると、どうしたらいいかわからず、緊張したり不安になって、良いパフォーマンスができなくなったりする。