なぜ運転席の隣を助手席と呼ぶのか?という話がありました。
助手を乗せているわけでもない運転席の隣の席を
助手席と呼ぶようになった理由は?
これについて、自動車の歴史に詳しい 中村孝仁さん(日本自動車ジャーナリスト協会)が説明していました。
「助手席」は、日本語・ハングルにのみ存在。
一般的に、運転席の隣の席は、英語やイタリアン語では「乗客の席」。
フランス語では「同乗者の席」。
ドイツ語では「運転手の隣の人の席」と呼ばれている。
では、なぜ、日本では助手席と呼ばれているのか?
もともと、この「助手席」は、日本のタクシー業界で使っていた業界用語。
生まれたキッカケは、日本ならではのとある事情があったから。
日本にタクシーが誕生したのは、1912年(大正元年)。
当初、乗務員は運転手だけだった。
ところが、1920年代、運転席の隣にもう1人座ることになった。
それが、助手。
その助手が座る席(運転席の隣)を「助手席」と呼ぶようになった。
その助手の役割は?
一人前の運転手になるために、かなり過酷な業務を行っていた。
実際、当時の助手さんの手記には、「助手は人間扱いされない」と書かれている。
・助手の仕事1「エンジンをかける」
1920年から30年当時のタクシーの多くは、耐久性の高いアメリカ車が使われており、
「クランク棒」と呼ばれる金属製の棒でエンジンを直接回転させて、始動させる仕組みだった。
さらに、出発した後も助手の仕事は、たくさんあった。
・助手の仕事2「客引き&運賃交渉」
当時のタクシーは、「超」がつくような高級サービス。
客を探すのが大変だった。
そのため、客の多くは、弁護士・御用商人・調停の客など、いわゆる富裕層だった。
しかし、セレブな客を見つけても、乗せるまでが大変。
客を激しく助手同士が取り合っていた。
当時のタクシードライバーは、花形の人気職業。
車自体が珍しかった時代、運転できることには、大きな価値があった。
助手たちは、成果を上げ、早くドライバーになって運転技術を身に着けたいと、必死だった。
・助手の仕事3「客の乗降の手伝い」
当時の自動車は車高が高く、日本人は着物を着てたり、羽織はかまが多く、
和服でステップに足を上げるのが、つらかった。
そこで、助手が踏み台を出すなどして、客の乗降の手伝いをした。
・助手の仕事4「運転中の道案内」
運転中、地図を見ながら道案内するのも、助手の大切な仕事。
そんな、タクシーに欠かせなかった助手は、なぜいなくなったのか?
その理由のひとつには、日中戦争(1937年〜1945年)がある。
若者が徴兵されていって、なり手がいなくなった。
そして、戦後、日本人の服装が、和服から洋服になり、
また、車自体の機能が向上したこともあり、助手の必要性もなくなってしまった。