なぜ運転席の隣を助手席と呼ぶ?:チコちゃんに叱られる!【2024/05/17】

なぜ運転席の隣を助手席と呼ぶのか?という話がありました。

助手を乗せているわけでもない運転席の隣の席を

助手席と呼ぶようになった理由は?

これについて、自動車の歴史に詳しい 中村孝仁さん(日本自動車ジャーナリスト協会)が説明していました。

「助手席」は、日本語・ハングルにのみ存在。

一般的に、運転席の隣の席は、英語やイタリアン語では「乗客の席」。

フランス語では「同乗者の席」。

ドイツ語では「運転手の隣の人の席」と呼ばれている。

では、なぜ、日本では助手席と呼ばれているのか?

もともと、この「助手席」は、日本のタクシー業界で使っていた業界用語。

生まれたキッカケは、日本ならではのとある事情があったから。

日本にタクシーが誕生したのは、1912年(大正元年)。

当初、乗務員は運転手だけだった。

ところが、1920年代、運転席の隣にもう1人座ることになった。

それが、助手。

その助手が座る席(運転席の隣)を「助手席」と呼ぶようになった。

その助手の役割は?

一人前の運転手になるために、かなり過酷な業務を行っていた。

実際、当時の助手さんの手記には、「助手は人間扱いされない」と書かれている。

・助手の仕事1「エンジンをかける」

1920年から30年当時のタクシーの多くは、耐久性の高いアメリカ車が使われており、

「クランク棒」と呼ばれる金属製の棒でエンジンを直接回転させて、始動させる仕組みだった。

さらに、出発した後も助手の仕事は、たくさんあった。

・助手の仕事2「客引き&運賃交渉」

当時のタクシーは、「超」がつくような高級サービス。

客を探すのが大変だった。

そのため、客の多くは、弁護士・御用商人・調停の客など、いわゆる富裕層だった。

しかし、セレブな客を見つけても、乗せるまでが大変。

客を激しく助手同士が取り合っていた。

当時のタクシードライバーは、花形の人気職業。

車自体が珍しかった時代、運転できることには、大きな価値があった。

助手たちは、成果を上げ、早くドライバーになって運転技術を身に着けたいと、必死だった。

・助手の仕事3「客の乗降の手伝い」

当時の自動車は車高が高く、日本人は着物を着てたり、羽織はかまが多く、

和服でステップに足を上げるのが、つらかった。

そこで、助手が踏み台を出すなどして、客の乗降の手伝いをした。

・助手の仕事4「運転中の道案内」

運転中、地図を見ながら道案内するのも、助手の大切な仕事。


そんな、タクシーに欠かせなかった助手は、なぜいなくなったのか?

その理由のひとつには、日中戦争(1937年〜1945年)がある。

若者が徴兵されていって、なり手がいなくなった。

そして、戦後、日本人の服装が、和服から洋服になり、

また、車自体の機能が向上したこともあり、助手の必要性もなくなってしまった。