兵庫県の市外局番はほとんどが「07」から始まる。
しかし、尼崎は「06」。
なぜ、大阪の市外局番が使われているのか?
明治時代、尼崎に多くの企業が工場を置き、産業の街として発展。
尼崎の工場にとって、何より重要だったのは、最大の取引先である大阪の企業との連絡。
尼崎紡績は、独自で大阪から電線を引っ張り、電話を開設するほどに。
やがて、市内全域に電話が普及すると、
「なんやコレ、全然繋がらんなぁ」
当時は、エリア外の通話は交換手を通さなければならず、相手に繋がるまでかなりの時間がかかった。
さらに、料金も高額。
「こんなんじゃ商売ならんわ、うちも大阪にしてほしいなぁ」
そこで、地元企業により、尼崎市内を大阪局の管轄に編入させようとする運動が起きる。
1954年、国を動かし、尼崎は兵庫県にもかかわらず、「06」が割り当てられた。
当時の新聞は、半額となった通話料のことを大々的に報じた。
兵庫県なのに、市外局番「06」が誕生した裏には、関西の近代化を支えた大阪と尼崎の絆があった。