本当は怖い日本の風習、謎多き迷信の正体:ビーバップハイヒール【2016/11/17】

日本の迷信には、色々怖い由来があるようです。

北枕は縁起が悪い

北枕が不吉とされるのは、人が亡くなった時、遺体の頭を北向きにするからと言われている。
なぜ北向きなのか?それは仏教の開祖ブッダが亡くなった時、頭を向けていた方角が北だったから。
元々は亡くなった人が極楽へ行けるように始まった習慣。
しかし、いつしか死者と同じで不吉と避けられるようになった。
ちなみに、北枕を気にしているのは日本だけ。他の仏教国にはこんな言い伝えは存在しない。

また、
「着物を左前に着てはならない」「靴下を履いたまま寝てはならない」
という迷信も、死者と同じにならないように生まれたものだとか。

3人で写真を撮ると真ん中の人は早死にする

江戸末期、初めて写真を見た人々は、恐れおののいたという。
なぜなら日本では、あらゆるものに魂は宿り、人の絵や人形は特に魂が移りやすいと考えられていた。
ましてや人間そのものを生き写しにする写真。そんなものを撮ると魂を抜かれると恐れられた。

浮世絵などの人物が敢えてデフォルメして描かれているのは、そのためだという。

さらに礼儀として、真ん中を年長者にして写真を撮ることが多かった。
真ん中の人が早く死ぬのは、ごく自然なこと。

鼻緒が切れると縁起が悪い

かつて葬式は親族が遺体を墓地まで運ぶ野辺送りだった。
葬式に加わった者は、埋葬が済むと履いていたわらじを墓地に捨てていくのが習わしになっていた。
その際、履いていたわらじの鼻緒をわざわざ切っていた。
それを履いて死者が戻ってこないように
この習わしから生まれたのが「鼻緒が切れると縁起が悪い」。
それが転じて、従来でも「靴ひもが切れると縁起が悪い」となった。

カラスが鳴くと死人がでる

日本には昔から死後も故人を飢えさせないように、墓に食べ物を供える習慣がある。
それは西洋にはない。日本人ならではのしきたり。
それに目をつけたのがカラス。人が墓場に来た時、そこに食べ物があることを学習。
カラスにとってかっこうの餌場に。カラスは人の死に群がる不吉な鳥として、忌み嫌われるようになった。

夜に口笛を吹くと蛇(幽霊)が出る

古来より霊魂は、風や空気のようなものと思われ、口から空気を吹き出す口笛は、神や精霊を招く力があると信じられていた。
今でも仏教の宗派によっては、墓を移動したり、位牌を処分したりする神聖な儀式に口笛を吹くという。
そして、夜は今日と明日の間であることから、生と死の境界線と考えられていた。
そんな時間帯に口笛を吹くと、霊的な存在を呼び寄せる行為としてタブーとなった。

夜に爪を切ると親の死に目にあえない

昔の人は刀や山などの尖ったものには、霊的な力が宿ると考えていた。
爪は人間の体の中で最も尖った部分なので、刀と同じように神聖なものと考えられていた。

日本書紀にも、「爪を粗末に扱うものは村から追放する」と書いてある。
古来より爪はとても神聖なもの。生きている限り伸び続ける爪は生命力の象徴で、霊魂が宿ると考えられていた。

さらに、昔は人を呪い殺す儀式に、相手の爪を燃やしていた。
爪を燃やすことで、その霊魂を抹殺する意味があった。

まだ電気のない時代、夜になると火のそばが唯一明るい場所だった。
そこでつい爪を切ると、とんだ爪が焼けてしまう。当時の人は爪の焼ける臭いは遺体が焼ける臭いと同じとして最も嫌っていた。

こうして、先人たちは、夜の爪切りを不吉な行為として封じ込めた。

寝言に返事をするとその人の魂が抜ける

枕=魂倉[たまくら](霊魂が宿る場所)

古代の人にとって、肉体と精神が2つに分かれるというのが基本的なイメージとしてあった。
寝ている時に、魂が肉体から離れて、その上に休んでいる状態。
その状態の時に、寝言に返事をすると魂が戻れなくなる。

山の中でスイカを見ても振り返るな

スイカというのは、登山をする方の間では人の頭(死者)というものといわれている。
丸くて中が赤い、遭難者の場合、大体転落死、昔は修験者が山に登ることは修行の一つとしてあった。
岩で頭を強打した遺体は、割れたスイカのように見えたということは珍しくない。
遺体を見て振り返ると、彷徨う霊にその世界に引っ張られるというような、登山者に警告するための言い伝えとして考えられている。

お供え物におはぎ

3月は春分の日、9月は秋分の日を中心に一週間ずつ訪れる「お彼岸」。
日本人は昔からこの期間に先祖の供養を行ってきた。
その時のお供え物といえば、「おはぎ」。その形が丸い理由は、日本人は古来より丸いものは神聖だと考えていたから。
霊魂は丸いものとされていた。「タマシイ」や「ミタマ」はまさに球体を表している。
では、なぜ数あるまんじゅうの中で、おはぎを供えるのか?
昔は小豆の赤色で血の色を表していた。
神事にまつわる漢字、「神」「祠」「お祓い」、多くの字に「示」しめすへんが使われている。
この文字の元になったものには、神への供え物「生贄の血」。
台座から滴り落ちる血は、とても神聖なもので、「」という字は血の滴る様子を表している。
おはぎは生贄と同じ意味を持っていた。
一般的に作られたまんじゅうには中に小豆で作られた餡が入れられている。
ところが、おはぎは敢えて逆にし、餡を外側にしている。
おはぎをお供え物にするのは、その餡の色が生贄の血と同じ色をしていたから。
こうして、日本人は先祖の供養におはぎを供えるようになった。

小豆をまとった餅を、春はボタンの花にちなんで「ぼたもち」。秋は萩の花で「おはぎ」と呼ぶようになった。

夏の花火大会

毎年夏になると、全国各地で開催される花火大会。
その始まりは、享保18年(1733年)、今から300年近くも前。
隅田川の川開きで行われた花火大会が最初と言われている。
浮世絵になるほどの華やかなビッグイベントだった。
しかし、この花火大会が行われた当時、日本は暗い闇を抱えていた。
この時代日本は、享保の大飢饉に見舞われ、疫病が猛威を振るう。
また広島では大きな地震が頻発し、岩手では火山が噴火。
全国で多くの人が死んでいた。この惨状に憂いていたのが、第八代将軍 徳川吉宗。
彼は死者の魂を慰めるために花火大会を開催することにした。
当初は死者の供養として始まった花火大会。やがて夏の恒例行事として全国各地に広がっていく。
夏は水害や伝染病で死にやすい季節。だから花火大会が開かれたのは夏だった。

盆踊り

多くの人が集う盆踊り。単なる昔ながらの祭りだと思っているのがほとんどだろう。
実は、盆踊りのルーツは今から2500年前に遡る。
ある時、ブッダの弟子の一人が神通力で、亡くなった母親の死後の世界を覗き見た。
母は逆さ吊りされ拷問を受けていた。驚いた弟子は母を救い出したいとブッダに伝えた。
するとブッダは、たくさんの僧侶たちと力を合わせお経をあげるよう言ったという。
弟子が言われた通りにすると、母は地獄の苦しみから救われたと伝わっている。
この日こそが現在のお盆の日。
その日、他の大勢の亡者も地獄から一緒に飛び出してきた。その時の両手を上げる歓喜の様子を表したものが盆踊りだった。

お盆の正式名称は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」。
うらぼんえの語源は、サンスクリット語の「ウラバンナ」、その意味は「逆さ吊り」。


※由来には諸説あります。