山手線は東京の心臓だという話:林先生が驚く初耳学【2017/06/11】

山手線はどういう電車なのか?」という話を林先生がしていました。


林先生による山手線の話

僕(林先生)が↓こういう風に書いた時に、まず気に入っているのは、この角度(駒込→大塚→池袋)ですね。

本当は池袋が大きなターミナルになる予定ではなかったんですよ。

「駒込」から「大塚」の道を真っ直ぐ行くと、「目白」に向かってるんです。

本来ならば「目白」が、例えば「西武目白線」「東武目白線」とか大拠点になるはずが、土地が無かったことによって、少しズラして「池袋」で分岐したんですよ。

山手線って(この円)全体じゃないですからね。

品川から田端までが「山手線」ですから、田端から東京までが「東北本線」、東京から品川までが「東海道本線」。

20.4kmが山手線ですからね。

でもね、考えてみると、東京の街の規模は世界でも異例なんですよ。

ここまで膨れ上がってしまった街っていうのはないわけで、じゃあ何で人がそんな風に動けるかと言ったら、

例えば、池袋に、西武池袋線が来る、東武東上線が来る、新宿には西武新宿線が来る、京王線が来る、渋谷には井の頭線が来る、東急東横線が来ると・・・。

こういうように、外からわぁーっと入って来た時に、ここ(円)をグルグル回す電車があるから人が回るんですよ。

千葉からも来るわけでしょ?ここで回せるものがなかったら人が止まっちゃうじゃないですか?

全部をダイナミックに動かすのが山手線とするならば、東京の人を大きく動かしてきた。

その名の通り「東京の心臓」と言っていいのは「山手線」ではないかなと。

山手線は、昔「の」の字だった

山手線が最初に造られた時は、品川 〜 赤羽だったんですよね。

だんだん、「1周の形」になっていた。

途中で今の中央線に乗り入れて、中野からぐるーっと、新宿を通って、東京に来て、もう一回新宿へ来て、上野に行く「の」みたいな字で、1919年(大正8年) 〜 1925年(大正15年)まで、運転をしていた。

後に、1925年(大正15年)に上野 〜 神田間が完成し環状線になった。

山手線で唯一の踏切

↓こちらは、駒込駅と田端駅の間にある山手線唯一の踏切。

こちらの踏切の音と点滅のタイミングはズレています。

なぜこの「ランプ」と「」はずれているのでしょうか?

林先生「音と光がズレてる情報を与えることで、違和感を与えてドライバーの意識をハッキリさせる!」

大政絢「林先生!その説明・・・、全然違います!

専門家によると、

踏切が故障した時、音・点滅の両方が作動しなくなるのを避けるため、ランプと警報音の回路は別々に設定している。

とのことです。

もしも、一緒の回線の場合、故障するとランプの点滅も音も出ない危険な状態になるということです。