↓こちらの料理のことを「焼き飯(やきめし)」と呼んだり「チャーハン(炒飯)」と呼んだりしますが、
実は、どちらも全く同じ料理。
では、なぜ2つの呼び名があるのか?
その理由は、東日本と西日本で違うということです。
東日本では、「チャーハン」
西日本では、「焼き飯」
東京の人に聞いてみると、チャーハン:94人、焼き飯:6人
大阪の人に聞いてみると、焼き飯:71人、チャーハン29人
という結果になりました。
先に登場したのは、「チャーハン(炒飯)」という料理名で、大正15年(1926年)頃。
読売新聞に初めてチャーハンの作り方という記事が登場しています。
当時チャーハンは、「五色蛋炒飯(イーシータンシャハン)」という中国語の料理名で紹介されました。
しかし、これが日本人には馴染みのない名前ということで「焼き飯」という日本式の名前に変えて日本中に広まっていった。
しかし、なぜ東日本では「チャーハン」と呼ばれるようになったのか?
戦後の昭和33年(1958年)頃、東京の「あみ印」という食品会社が、インスタントの「炒飯の素」を売り出した。
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家庭で簡単に混ぜるだけでチャーハンが作れると、東日本を中心に大ヒット商品になった。
しかし、当時はまだ流通網が全国になかったため、西日本ではそのまま「焼き飯」という呼び名が残ったのです。
さらに、西日本(特に大阪)では鉄板文化が根付いていたため、鉄板でご飯を焼く「焼き飯」という名前が受け入れられやすかったということもあります。