怒るときの「コラ!」ってなに?という話がありました。
これについて、日本語の歴史や方言を研究する木部暢子(国立国語研究所 特任教授)が説明していました。
皆さんが怒るときに、ついつい言葉にしている「こら」。
もともとは、江戸時代から、鹿児島県の主に薩摩半島辺りで、使われていたとされる方言。
その意味は、「ねぇ」や「ちょっと」という呼びかけの意味で使われていた。
「鹿児島おはら節」にも、「コラ」は登場している。
♬ 私や原良(鹿児島市の地名)の 半纏(はんてん)育ち
〜
おごじょ コラコラ お前宿ァ どこや
(お嬢さん ちょっとちょっと コラコラ 家は どこ?)
この歌詞の意味は、男性が「お嬢さん ちょっとちょっと 家はどこだい?」と声をかけナンパしている場面。
鹿児島県の薩摩半島辺りでは、「コラ」は「ねぇねぇ」とか「ちょっとちょっと」など、優しく呼びかける言葉として使われていた。
現在でも、鹿児島で、
・コラコラ とないのうちが ごぜんけやっど(ねえねえ 隣の家が 結婚式だよ)
・コラ おまんさ むぞかね(ねえ あなた かわいいね)
などと、「コラ」を使っている人がいた。
では、なぜコラが怒る言葉になったのか?
有力な説がある。
明治初期、日本は維新後の混乱で治安が乱れていた。
そこで、明治4年、新政府は、警察の基になる「ら卒」という組織を設立。
「ら卒」は町を見回る役目を果たしていた。
「ら卒」には、3000人が採用された。
その内訳は、明治維新で活躍した、鹿児島出身の西郷隆盛が連れてきた1000人。
そして同じく鹿児島出身で初代警視総監にもなった川路利良が1000人連れてきた。
つまり、当時の警察は3分の2が鹿児島出身だった。
その当時、町では、こんなやり取りが行われていたと考えられている。
道でぶつかった男二人が互いに相手のせいだともめていた。
そこに、警察官がやってきて、「コラ(ねえ)どうしたの?なにをもめているの?」と聞くと、「ひぇー」と、男二人は怯えて逃げていった。
鹿児島弁はイントネーションが強い、だから、「ねえ」と呼びかけたつもりが、高圧的に聞こえてしまった。
言われた側は、「悪いことしたのかなあ」と、怒られているような感覚になり、今の叱る意味が加わったと考えられている。
「コラ」と呼びかけられた人は、どう思ったのか?
明治28年に出版された 泉鏡花の「夜行巡査」には、
「だしぬけにこら!って喚かれましたのに驚きまして、いまだに胸がどきどきいたしまする」
と書かれている。
「コラ!」という言葉は、当時の人にとって、胸がドキドキするほど怖く感じ、新鮮な言葉だったということが分かる。