なぜ、桜並木は川沿いにあるのか?という話がありました。
確かに、桜の名所といえば、川沿いに多い。
これについて、日本文化を研究している斗鬼正一 先生 (江戸川大学 名誉教授)が説明していました。
川沿いに桜が植えられたのは、花見目当ての見物客に地面を踏み固めてもらうため。
このアイデアを思いついたのは徳川吉宗だったのではないかと言われている。
時は、質素倹約が奨励された亨保年間。
当時、幕府は財政難で、武士から市民まで、質素倹約を強いられていた。
江戸時代屈指の華やかさを誇った元禄(1688〜1704年)が終わり、いわばバブルがはじけ不況を迎えた亨保(1716〜1736年)。
吉宗は生活向上のため、新田開発に力を入れるも、成果は上がらず、それどころか、更に追い打ちをかけるように、江戸川、隅田川、神田川が氾濫した。
水を防ぐために造られていた堤が壊れ、犠牲者3500人余りという水害が起こった。
当時、堤は「蛸胴突き」という道具を使って、
盛られた土をたたき固めるのが主流だった。
しかし、この方法で隅田川の堤(約20km)を改めて造る大工事は、人手も時間もかかりすぎて現実的ではない。
更にお金もないとなると、頻繁に起こる河川の氾濫に幕府は対抗できなかった。
そんな時、吉宗は、中国の歴史書「史記」を見て、「川辺に桜を植えよう」と思いついたのではないかと言われている。
それがこちらの 一節。
「桃李もの 言わざれども 下自(したおのずか)ら蹊(みち)を成す」
→桃や季(すもも)の木には 美しい花にひかれ たくさんの人が集い 自然と道ができる
これを見た吉宗は、「川沿いに桜並木を植えれば人が集まる。すると、地面は踏み固められ、結果、丈夫な堤防が造れる」と思ったに違いない。
こうして、吉宗の指示で隅田川や玉川上水に、奈良の吉野山などの桜が植えられた。
しかし、なぜ数ある木々の中で、桜だったのか?
その理由は2つ。
【理由その1】根をたくさん張る樹木
桜は、他の木々に比べると、根の広がりと量が圧倒的だった。
根を広く張ることで、土砂の流出も防げるので、堤防を造るには、うってつけだった。
【理由その2】春に花が咲く
河川の氾濫が増えるのは、雨の多くなる梅雨時期、あるいは台風の来る秋。
それよりも前に、地面を踏み固める必要がある。
そうなった時に、春に花を咲かせ、人々が殺到する桜は、理にかなっていた。
とはいえ、花見に来る人の足で地面を踏み固め、堤を造るには、かなりの時間がかかりそうだが・・・?
ここで、吉宗のアイデアは抜かりない。
普段、町人に強いていた倹約が効いてくる。
娯楽がなかった当時、花見のときだけ、武士にしか許されていなかった刀を差すのもOK。歩きタバコOK、女装OK。そして、厳しい倹約令を緩め、ごちそうを食べるのもOK、とした。
(※武士以外でも一般的な日本刀より小さい「脇差」を普段から差している人はいた)
そうすると、ふだん我慢していた町人が 一気に花見に集まった。
こうして、花見は武士・町人が身分の差を超え、同じ場所でハメを外せる行事として習慣になっていった。