そもそも、浴衣(ゆかた)ってなに?という話がありました。
これについて、「衣服をいかに着るか」をテーマに研究している薩本弥生 先生(横浜国立大学 教育学部 教授)が説明していました。
浴衣は、もともとお風呂の中で着るもの。
日本のお風呂の歴史をたどると、浴衣の歴史もわかる。
古代の日本には、今のようなお風呂の習慣はなく、海や川での「沐浴(もくよく)」、
つまり、水浴びが行われていた。
この原始的な入浴スタイルが変化したのは、奈良時代。
中国から仏教が伝わると、「病気を退け、福を招く」として、
体を温め、身を清める入浴が勸められ、お寺には、入浴のための施設が作られた。
この施設を庶民も使えるようになり、「お風呂に入る」という習慣が広まっていった。
ただ、当時のお風呂はお湯につかるわけではなく、
お湯を沸かして蒸気を取り込んだ「蒸し風呂」。
つまり、サウナのような形式だった。
サウナはすごい熱いので、
平安時代には、お風呂の中で、
湯帷子(ゆかたびら)を着るようになった。
湯帷子は、現在の浴衣の原型になったと言われているもの。
「帷子(かたびら)」とは肌着の意味で、
「湯帷子」は、蒸し風呂に入るとき専用の肌着ということ。
素材は麻が一般的で、汗を吸収したり、熱い水蒸気から肌を守り、ヤケドを防ぐことが目的だった。
現在のように浴槽にお湯を張り、そこに体をつけるというスタイルが、
いつ頃、発生したか詳しくは分かっていないが、
鎌倉時代には、湯船がある銭湯の原型が現れたと考えられている。
当初は、湯帷子を着たまま入浴していたようだが、
汗はお湯に流れ出るし、蒸気によるヤケドの心配もなくなったので、
湯帷子を着る必要がなくなった。
すると、湯帷子の使い方が変わった。
湯帷子の汗をよく吸い取り、風通しが良いというつくりから、
室町時代には、入浴中に着るものではなく、湯上がりの汗取り用として、着られるようになった。
湯帷子が入浴後に着られるようになった頃、呼び名にも変化があらわれる。
「ゆかたびら」が略され、「ゆかた」に。
そして、現在と同じ「浴衣」という漢字があてられるようになった。
お風呂上がりに肌着やバスローブのようなものとして、着られるようになった浴衣。
それが、現在のような外出着になったのは、なぜか?
それは、江戸時代の銭湯と深い関わりがある。
銭湯でも、当初は湯上がりに浴衣を着て、外へ出る時は、わざわざ和服の着物に着替えることが一般的だった。
やがて、浴衣のまま銭湯を行き来する人があらわれた。
風呂上がりに羽織って、そのまま外に出られるのが便利だと人気になり、
一気に庶民の間に広がっていった。
多分これは、歌舞伎役者の7代目市川團十郎などの影響もあったのではないかと考えられる。
当時のスターが浴衣を着ているのを見て、「粋だ」「かっこいい」と憧れてマネをした庶民も多くいたはず。
さらに、江戸時代後期になると、「浴衣で外出する」という習慣に、拍車がかかる出来事が起こる。
それが、1841年に幕府の財政立て直しを目的に行われた「天保の改革」。
ぜいたく品が禁止され、絹織物などの和服が着られなくなってしまった。
そんな中、安い木綿の浴衣を着て、盆踊りや花見に出かけることが流行し、外出する時の一般着になっていった。
浴衣が「外で着る服」に変化したことで、柄にもこだわるようになった。
浴衣の柄の意味
・吉原つなぎ
旅館によく置いてある「吉原つなぎ」の柄。
吉原遊廓が楽しすぎるあまり、なかなか抜け出せないことを「つながった鎖=抜け出せない」で表現している。そこから「人と人を結ぶ」良縁を意味する縁起のいい模様とされ、お客さんとの縁を大事にする旅館などで好んで採用されている。
・矢絣(やがすり)
はかまとの組み合わせで、入学式や卒業式で目にすることも多い。
弓で放った矢は、飛び出したら戻らないことから、「まっすぐに突き進む」という意味の縁起のいい模様。
・麻の葉
子どもの浴衣でよく使われる「麻の葉」の柄。
麻は成長が早く、グングン育っていくことから、健やかな子どもの成長を願う気持ちが込められている。
また、厄よけを意味する柄として大人にも人気。
・流水
日本舞踊のお稽古などでもよく見る「流水」の柄。
流れる水は腐らないことから「清らかさ」の象徴。
また、「苦難や災いを流す」という意味も込められている。