紙の大きさにA判とB判があるのはなぜ?:チコちゃんに叱られる!【2023/03/10】

紙の大きさといえば、A4やB5などがある。

でも、なぜ、AとBの2種類あるのか?

これについて、紙の歴史などを研究している 西村博之さん(紙の博物館 学芸部長)が説明していました。

日本で西洋式の紙を作る本格的な工場ができたのは、明治8年。

2024年から1万円札に印刷される渋沢栄一が作った。

当時、日本には、植物【楮(こうぞ)、三椏(みつまた)など】の皮の繊維から作られた和紙があったが、

このころの西洋紙の多くは、ボロ布の繊維で作られていた。

しかし、余った布では量に限りがある。

そこで、明治22年、新しい海外技術を取り入れ、大量生産が可能な、木の繊維を原料とする、

現在の紙を作る工場が日本にも誕生した。

木の繊維で作った、当時の紙には、様々な大きさがあったが、

主に使われていたのは、「菊判」と「四六判」。

「菊判」は、雑誌などに使われていた大きさで、「四六判」は、小説などに使われていた。

しかし、当時の紙には、ある問題があった。

大きさが明確に決まっていなかった。

例えば、全て「菊判」で作られた本を重ねると・・・、

大きさはバラバラ。

「四六判」を重ねても・・・、

大きさはバラバラ。

当時は、紙だけでなく、工業製品【ネジ・ビール瓶・生地・鉛筆など】にバラつきがあった。

そこで、国が工業製品の規格を統一することになった。

大きさがバラバラだった「菊判」と「四六判」の紙を1つの大きさに統一することになった。

そこで、当時、紙の規格統一を担っていた、大蔵省印刷局の矢野道也は、

海外の紙の寸法について書かれている書籍を集め、「菊判」と「四六判」に近い大きさを探した。

そして、見つけたのが、ドイツで使われていた「A判」で、「菊判」とほぼ同じ大きさだった。

大きさ以外にもあるメリットがあった。

ドイツのA判は、

何回半分にカットしても、縦と横の比率【1:ルート2】が変わらないのでムダがない。



私たちがよく使うA4サイズは、A判で一番大きいA0をきっちり16等分すれば作れてしまう。

サイズが日本の菊判とほぼ一致していて、半分にしても比率が変わらないという、この2つが決め手となり、ドイツのA判が採用された。

一方、「四六判」はというと、「A5」と「A6」の間の大きさで、A判が合わなかった。


いっそのこと一回り大きい「A5」にしてしまえばいいとも思えるが、

「四六判」は、小説など持ち運びやすい大きさだったので、消費者のことを第一に考えて、庶民が慣れ親しんだ大きさを変えるのは論外だった。

ちょうどいい大きさがないのであれば、作ってしまえと、「B判」という日本独自の規格が作られた。


こちらも、A判と同じく半分にしても比率は変わらないようになっている。

「菊判」は、「A5」。

「四六判」は、「B6」。

それぞれのサイズが使われるようになった。