ICカードをピッとするだけでお金が払えるのはなぜ?という話がありました。
ICカードを使って、改札でピッとすれば電車に乗れるし、自動販売機でピッとすれば、ジュースも買える。
現金は払っていないのに、お金を払ったことになっている。
これはなぜか?
これについて、高木久史 先生(大阪経済大学 経済学部 教授)が説明していました。
ICカードをピッとして、もののお金が払えるのは、お金が、何でもいいものだから。
まず、ここに、現金1000円と、1000円分のチャージをしたICカードがある。
この2つのどちらの方が、コンビニでより高いものを買えるか?
基本的には、どちらも同じ。(※今回はポイントなどは考慮しない)
では、次に、ここに普通の紙に手書きした「タカギ券」1000えんと、1000円分のチャージをしたICカードがある。
この2つのどちらの方が、コンビニでより高いものを買えるか?
タカギ券など聞いたことがないので、使えないので、ICカードの方が高いものを買える。
しかし、タカギ券1000円とお菓子1000円分が交換できるとしたら、どうでしょうか?
交換しようとする人も出てくるかもしれない。
その人たちは、高木先生を信用し、約束する。
少なくとも、1000円分のものと交換できるということをお互い認めたことになる。
この時、初めて、タカギ券に1000円分の価値が生まれる。
千円札は、国が法律でその価値を認めている。
しかし、例え、国が1000円の価値があると約束したとしても、人々が使わなければ信用されないので、ただの紙きれとなる。
国が1000円と価値を決めたものを人々が信用して使うからこそ、千円札には1000円の価値がある。
一方、ICカードは、お金ではないのに、なぜ使えるのか?
ICカードの場合は、ここに「お金をためた」というデータを鉄道会社側が記録している。
これを改札などで、ピッとすると、お金が減る代わりに、鉄道に乗せてくれたりということを鉄道会社側が約束していて、
私たち使う人々が、その約束を信じることによって成り立っている。
この場合、やり取りされているのは、お金ではなくデータ。
データが信用されていれば、お金として使える。
この「データとしてお金を使える」という体験は、実は、私たちの生活にも昔からあった。
例えば、銀行の振り込み。
Aさんが銀行を通してBさんにお金1000円を振り込むとする。
振り込みの作業をすると、銀行がAさんの口座の数字を1000円分減らして、そのかわりに、Bさんの口座の数字を1000円分増やす。
ということになっている。
銀行がやっているのは、現物のお金を動かすことではなく、利用者の口座残高データの書き換え。
この時、利用者は間違えずにデータをやり取りしてくれる銀行を信用する。
このように、実は私たちは銀行を信用することで、口座の数字を増やしたり減らしたりするデータを既にお金として使っている。
というわけで、
お金はものとしては、金属でも紙でも何でもよく、やりとりする人同士に信用があればいい。