「冷やかし」ってなに?:チコちゃんに叱られる!【2024/02/16】

何も買わずに店を出ることを、なぜ「冷やかし」というのか?という話がありました。

これについて、江戸・東京の文化や歴史に詳しい斗鬼正一 先生 (江戸川大学 名誉教授)が説明していました。

「冷やかし」とは江戸時代に生まれた言葉だが、当時、実際に冷やしているものがあった。

それが、「紙」。

「冷やかし」という言葉のルーツには、紙の作り方に関係がある。

江戸時代、紙は高級品だったため、古い紙を回収したり、

落ちている紙くずを集めたりして、再生紙を作り、何度も使用していた。

再生紙を作る職人たちは、東京の浅草に多く集まっていたので、

「浅草紙(あさくさがみ)」と呼ばれていた。

こちらが、明治時代に作られた浅草紙。

使い古した紙で作っていたので、とても粗く、品質が悪いため、

主に、おしりをふく紙として使われていた。

浅草紙は、川の水にさらした大量の古紙や拾った紙くずを

釜で煮て柔らかくし、

棒でたたき細かくしたものを、

すきあげて、もう一度紙にしたもの。

この最初に釜で煮た後に、冷やす時間があった。

それに、約2時間もかかっていた。

その2時間のひまをつぶすために、職人たちは、近所にあった吉原遊廓に遊びに行っていた。

江戸時代の地図を見てみると、

浅草紙の職人が働いていたのが、隅田川につながる水路の周辺。

ちなみに、現在は、その地域に、「紙洗橋」という地名が残っている。

そして、吉原遊廓は、この赤い丸の部分。

浅草橋の職人がいるエリアから、すぐ近くにあったことがわかる。

職人たちは、遊ぶお金もなく、ブラブラと見て回るだけで、遊女たちとは遊ばずに帰っていた。

そして、遊女たちは、「あの客は紙を冷やかしてる間に、ひまつぶしに来ただけの冷やかしよ」というように、

浅草紙の職人たちのことを「冷やかし」と呼んだ。

そして、買う気もないのに、お店に来る人や、そういう行動自体の呼び方にも、使われるようになった。

当時、吉原遊廓は、文化や流行の発信地だったので、「冷やかし」という言葉は、

どんどん広まっていったのだと思われる。

ちなみに、お殿様やお金持ちは、吉原遊廓へ、舟を使って遊びに行っていたのに対して、

浅草紙の職人たちなど、お金のない人たちは、田んぼ道を歩いて行ったので、足元や服が泥だらけで汚かった。

そのため、遊女たちは、服装を見れば「冷やかし」かどうか、すぐわかったという。