なぜ直毛の人とくせ毛の人がいるのか?という話がありました。
パーマをあてたり、オシャレという意味ではなく、
もともと、髪の毛にくせのある人とくせのない直毛の人がいるのは、なぜか?
これについて、毛髪科学を研究している、岩渕徳郎 先生(東京工科大学 応用生物学部 教授)が説明していました。
人間の髪質の種類は、大きく分けて、直毛(ストレートヘア)、くせ毛(天然パーマ)がある。
くせ毛の原因は、様々あるといわれている。
例えば、食生活の乱れやストレスで、頭皮の内側で毛根を包んでいる皮膚組織、「毛包(もうほう)」というが、
その毛包が、普通は真っ直ぐだが、ゆがんでしまい突然くせ毛になってしまう人もいる。
しかし、やはり、大きくは遺伝が関係している。
ちなみに、ウェザーニューズの調査によると、日本人の3人に2人がくせ毛であるというデータも出ている。
世界の人たちを見てみると、
日本人を含むアジア系の人たちは、
髪の毛が太くて硬い特徴があり、太さは約0.08mm、本数は頭全体で約10万本。
ヨーロッパ系の人たちは、
波打つようなうねりが特徴で、太さはアジア系より細い約0.07mm、本数は約14万本。
アフリカ系の人たちは、
強いくせ毛が特徴で、太さと本数は、ヨーロッパ系とほぼ同じ。
なぜ、民族によって髪質に違いがあるのか?
それは、くせ毛のルーツに関係している。
そもそも、人類が誕生したのは、アフリカとされているが、この場所が重要。
はるか昔、人類の祖先はアフリカの森林で生活していたが、気候の変化で森林が減少し、
約700万年前、サバンナの草原で暮らすようになった。その頃の人類は、頭に髪の毛はなく、
猿や猫、犬のように、体毛がそのまま頭に生えていた状態。
その後、狩りや外敵から身を守るため、四足歩行から二足歩行に進化し、人類は道具を使うことを覚える。
それに伴い、脳も大きくなっていくが、サバンナには森と違い太陽の光を遮るものがないため、頭に多くの熱が当たってしまっていた。
脳は、熱にとても弱い器官で、しかも発熱量も多い部分になっている。
その脳を守るために、頭に長い毛を生やす必要があった。
こうして生えてきた髪の毛がくせ毛だった。
しかし、生えてきた毛は、なぜ直毛ではなかったのか?
それは、直毛よりくせ毛の方が、温度調節がしやすいからだと考えられている。
実は、くせ毛の方が、太陽などが当たっても温度が上がりにくく、また気温が下がっても温度が下がりにくい。
直毛より温度の調節に長けていた。
ここで、実験。
それぞれの髪質の人の頭部に温度計を貼り付け、パーマ用のヒーターで45度の熱を当てて計測。
スキンヘッドの人と直毛の人の頭部の温度を比較。
スキンヘッドは、すぐに温度が上昇したのに対し、直毛はなかなか温度が上がらない。
その後、8分かけて38度まで上昇するが、それ以上は上がらず、一定の温度を保った。
これはつまり、熱が加わる速度と放熱される速度が、釣り合った状態になっている。
そして、ヒーターを止めると、急激に下降したスキンヘッドに対し、直毛はゆっくりと温度が下がっていく。
髪の毛の中の空気の温度変化が小さいので、温度変化が急激にならない。
これは、脳にとってはいいこと。
最後に、くせ毛の人で実験。
開始時に、直毛よりもくせ毛の人の温度が高いのは、自分の体温からの熱を保っているから。スキンヘッドよりは低い。
温度の上昇は、直毛よりくせ毛の人の方が時間がかかっている。
最高到達温度は直毛の38度に対し、くせ毛は1.5度も低い36.5度。
ヒーターを止めると、くせ毛は直毛より変化がなだらか。
これは、くせ毛の方が毛と毛の間に隙間があり、空気をより多く含んでいることで、熱が伝わりにくくなっていて、
また一度温まったら熱を逃しにくいから。
生物は急激な変化を嫌がるので、マイルドな変化の方が対応できる。
くせ毛の方が脳にとってはいい。
つまり、昼の温度が高く、夜は寒いアフリカで生まれた人類には、脳を守るため、直毛より温度変化が少ないくせ毛の方が適していた。
では、なぜくせ毛以外の髪質が生まれたのか?
それは、人類が移動してきた歴史が関係している。
アフリカで始まったとされる人類の一部は、ヨーロッパ、シベリア、アジアと北に移動していく。
ヨーロッパは、アフリカより寒い場所。
脳の熱を逃す必要がなく、早く温まる必要があったので、直毛になった。
さらに、アフリカに比べてヨーロッパは、日差しが弱く、頭に当たる紫外線の量も少ないので、紫外線から頭を守るメラニン色素も少なくて済む。
そのため、髪の毛から色素が減って、金髪になっていった。
では、日本人が黒髪の理由は?
祖先がヨーロッパを通らずに、中東やインド、東アジアを経て、暖かい所を移動して、最終的に日本にたどり着いたからかもしれない。
日本人の髪質に、直毛とくせ毛があるのは、シベリア方面の北を通ってきた人たちと中東を通ってきた人たちが、最終的に日本で合流して合わさったからかもしれない。