噴水って、そもそもなに?という話がありました。
これについて、水道の歴史や構造について研究している、
松井三郎 先生(京都大学 名誉教授)が説明していました。
噴水は、もともと、水道のゴミの詰まりをチェックするために作られた。
始まりは、紀元前4世紀の古代ローマ。
強い軍事力を誇り、領土拡大を続けていた、古代ローマ。
首都ローマは、急激な人口増加に伴い、ある問題を抱えていた。
それは、井戸が足りない問題。
領土拡大のために兵士を集めた結果、急激に人口が増え、井戸が足りなくなってしまった。
さらにローマの周りには山がなく、丘がある程度だったので、雨水が分散し、地下水源も乏しかった。
そんな中、立ち上がったのが、アッピウス・クラウディウス・カエクスという政治家。
この人が初めて、水道の建設を行った。
その結果、噴水が誕生した。
ローマに水を引っ張ってくるために、水源地を求めて、そこから水路をつくり、水を引っ張ってきた。
その距離、なんと17km。
これは、新橋〜川崎間の距離とほぼ同じ。
現代では、強力な送水ポンプで、街まで一気に水を運ぶが、
古代ローマでは、当然そんなものはなく、取水源から始まって使うところまで、
ずっと滑らかな勾配で重力を使って、水を運んでいた。
勾配をつけすぎると、水路が削れてしまい、
逆に、緩やかすぎると、
水がよどんで、疫病などの原因になってしまうため、
ローマの水路は、1kmにつき平均5mの勾配。
この勾配は、現在の日本の建物でも、雨水などを排水する時の基準として使用されている。
しかし、ローマまでの道のりは、常になだらかな下り坂というわけではなく、
山間部や川の上などを越えて水路をつくる必要があった。
その場合には、水道橋を造って水を運んだ。
こちらが、古代ローマ時代につくられた水道橋。
建設から約2,000年が経った現在でも、壊れることなく、その姿を保っている。
こうして運ばれてきた水は、一度 街の貯水槽にためられる。
貯水槽からは、このように、水道管が張り巡らされており、
そこを通って、貴族の住居や公衆浴場、水くみ場へと送られていった。
そして、一番最後、水の終着点となったのが噴水。
こちらが、約2,000年前につくられた実際の噴水。
なぜ、古代ローマの水道の終着点に、噴水がつくられたのか?
古代ローマ人は、キレイな水を使い続けるために、点検と整備を行っていた。
水路が地下にある場所では、縦穴を掘り、
そこから人が入って、定期的に点検・贅備を行うことで、きれいな水質を保っていた。
しかし、水路が使われるのは、首都ローマに水が運ばれるまで。
そこからは、銅でできた水道管。
そして、家庭内に水を運ぶには鉛でできた水道管。
こちらは、実際に使われていた水道管。
細い水道管なので、砂利や葉っぱなどのゴミが詰まりがちだった。
これをチェックするのが、噴水。
各水道管の先に、噴水を設置しておけば、
例えば、街中の水道管でゴミが詰まった場合、水がせき止められてしまい、
その水道管の終着点にある噴水へ流れ込む水の量も減るため、噴水の勢いが弱くなる。
つまり、この噴水の勢いがなければ、水道管が詰まりが簡単に分かる。
これによって、清掃や交換が効率よくできた。
また、流れてくる水の水圧を噴水として発散し、
水道管から水があふれてしまうのを防ぐという役割もあった。