小林一三の偉業【阪急電車・住宅ローン・宝塚歌劇団・駅直結の百貨店】:大阪人の生態学【2016/03/26】

あずき色の車両にレトロな内装で、大阪では有名な阪急電車。

その創業者の話です。

阪急電車の創業者 小林一三

明治6年(1873年)山梨県生まれ、慶応義塾大学 出身。

小説家の夢を諦めて、三井銀行に入社。

しかし、銀行では才能を発揮できなかった。

阪急電車

その後、阪急電車の前身となる、明治40年(1907年)箕面有馬電気軌道株式会社の発起人になった。

住宅ローン

明治41年(1908年)梅田〜池田間の開通事業に着手。

その予定地は、何もない原っぱでした。

関係者「こんな田舎に電車を走らせて何になるんだ?予定地を変更しよう!」

しかし、一三は、ここに電車を走らせることを決意する。

関係者「田舎過ぎて、乗客がいない!」
一三「乗客がいないなら、つくればいい!」
一三「ここに新しい住宅地を作る!」
一三「ここに住む人を阪急電車が運べばいい!」

住宅地を作って、乗客を増やすというこころみ。
しかし、ここで大きな問題が、

関係者「家なんか作っても、庶民が家なんて買えるわけないでしょ!」

この当時、持ち家は一部の富裕層だけしか持つことができなかった。

関係者「庶民が払えるお金なんて、1ヵ月12円程度ですよ!」
(※12円は、現在の約3万円)

ここで、銀行で働いていた経験から、一三は、とんでもないアイデアを生み出す!

一三「だから、毎月12円ずつ払ってもらったらいい」
一三「何年もかけて、自分の家を買ってもらえばいい」

日本初の住宅ローンを生み出す

当時のパンフレット「この家はあなたのものです!」

何もなかった池田線は、

住宅地として生まれ変わった!

「乗る人がいないなら作り出せばいい、沿線に人の集まる場所をつくればいいのだ」

宝塚歌劇団

一三は、女の子だけの音楽隊を結成することを決意する。

宝塚歌劇団を結成

当時、流行していたのは少年音楽隊

一三「男装した少女の方がもっと面白くなる、美しい少女に会いにいける小芝居を」

今となっては当たり前のような、会いに行けるアイドルを100年も前に実現していた。

阪急百貨店

梅田駅は毎日12万人が利用する一大ターミナルになっていた。

一三「これだけの乗客がいるなら、梅田駅には何か可能性があるはずだ!百貨店を作ろう!駅前にある百貨店だ!」

当時の百貨店は駅から離れており、

バスでの送迎が当たり前だった。

そんな中、駅直結の百貨店を開発!

これは世界初の試みだった!


小林一三は、阪急電車だけならず、住宅ローン・宝塚歌劇団・駅直結の百貨店を生み出したすごい人だった!