「見ざる」「言わざる」「聞かざる」「せざる」?
よく耳にする「見ざる」「言わざる」「聞かざる」、実はこれは3つではなく、孔子の「4つの戒め」だった。
↓それがこちらの像、一番右の像を見てみると、両手で股間をふさいでいる。
このことから4つ目の戒めは「せざる」→ 性的行動に対する戒めだと考えられている。
日本では、3つの方が語呂がいいとか、性的表現はNGだからなど色々な説があるが、その理由は定かではない。
世界最古のことわざ
そもそもことわざが誕生したと言われているのは約6000年前、世界最古のメソポタミア文明。
粘土板に楔形文字で刻まれた最古のことわざは、
・苦しきは兵役 楽しきはビール
・愛情は家庭を作り 憎悪は家庭をこわす
現代人にも通じる普遍的なものばかり。
日本最古のことわざ
日本最古のことわざと言われているのは、
・和を以って貴しとなす
聖徳太子が憲法十七条でうたったものだが、後に教訓として人々に伝わり諺になっていく。
諺とは先人たちが残してくれた人生の道しるべ。
犬も歩けば棒に当たる
積極的に動き回ると、幸運に遭遇することがある。
という意味で使われているが、本来の意味は違っていた。
この諺が作られたのは江戸時代、当時の犬は「飼い犬」ではなく、地域に住み着く「村犬」「里犬」として存在していた。
そのため、犬を見かけると、食べ物に困った浪人や町人が食料や皮を取るために捕まえられていた。
落穂集より
町中に犬はほとんど見当たらなかった。たまに見つけると武士も町人も下々の食べ物として犬にまさるものはないので、冬場には見つけ次第に打ち殺して味わった。
ここから生まれた「犬も歩けば棒に当たる」の本来の意味は?
犬が出歩くと棒で叩かれることがあるように、人間もでしゃばるとロクなことがない。
この犬たちを救ったのが、5代将軍 徳川綱吉。綱吉が「生類憐れみの令」を発令し、犬をいじめないように定めた。
このことをキッカケに、武将や遊女たちが自分のステータスを残す証拠として、犬をペットとして飼うようになった。
自由に外を歩けるようになり、棒で叩かれることもなくなったことから、諺の意味も変わったのだ。
元の木阿弥
いったん良くなったものが再び元の状態に戻る
という意味で使われているが、この諺にも戦国時代のあるストーリーが隠されていた。
戦国時代、筒井城の主、筒井順昭(じゅんしょう)が病死した。ならわし通り、息子の順慶(じゅんけい)が跡を継ぐことになったが、まだ幼かった。
すると、家来が連れてきたのは、父の順昭と声がそっくりな木阿弥という僧侶。
順慶が成人になるまで他国に父の順昭が死んだことを知られてはならないので、声がそっくりな木阿弥を影武者としてやりすごすと家来は提案する。
もし何も知らない家来が報告に来た時は、病気として床に入り顔を合わせることなく声だけで会話をした。
これによって、順慶が成人するまで他国に順昭の死を知られることはなかった。
その後、役目を終えた木阿弥は城を追い出され、元の身分に戻った。
ここから誕生した諺こそ、「元の木阿弥」だと言われている。
秋茄子は嫁に食わすな
秋なすは特に味がよいので、嫁にあげるのは勿体ない
という姑の嫁イビリを表した諺。
元となったといわれる和歌が江戸時代の辞書、俚言集覧にある。
秋なすび早酒(わささ)の粕につけまぜて嫁に食われじ棚におくとも
でも、この和歌に出てくる「嫁」は、いわゆる「お嫁さん」のことではない。
その正体は、鼠(ねずみ)。昔ねずみは「ヨメ」と呼ばれていた。
つまり、この意味は嫁いびりではなく、
おいしい秋なすを酒粕に包んでおくのはいいがねずみに食べられないように注意しよう
という教え。それが一方で嫁にあげるのはもったいないという解釈でも伝わり、
「秋鯖は嫁に食わすな」「五月蕨は嫁に食わすな」「秋かますは嫁に食わすな」と嫁に食わすなシリーズが次々と登場。現在にいたっている。
酒は百薬の長
適度な酒はどんな薬にもまさる効果がある
という意味。実はこの諺はある男の政治的発言から始まった。
その男の名は「王莽(おうもう)」。紀元8年の中国で「新」という国を作った皇帝。
中央集権的な専制支配を目指し、様々な改革を行った。中でも力を入れたのは国の収益をあげること。
「酒」を国が作り「塩」「鉄」と同じく独占的に販売しようとした。
その言い訳として、王莽が考えたのは、
酒はどんな薬よりも心身に効く、だから皆のために国が生産し販売する
という、専売事業のための宣伝文句。
最初は宣伝目的だったこの言葉が、2000年の時を経て、医学的にも認められるようになり、今なお使われ続けている。