今や日本の国民食ともなった「ラーメン」。
元は、中国から伝わってきた麺料理ですが、この「ラーメン」という名前、実は日本で名付けられたものなのです。
ところで、ラーメンの「ラー」って何でしょうか?
ラー油や、ラードなどの「ラー」ではありません。
伝承料理研究家の奥村さんによると、
奥村さん「ラーメンというとね、歴史があるように思ってるでしょ?(「ラーメン」と)呼ばれるようになったのが、ごく最近のことなんです。」
とのこと。
1488年の室町時代に、ラーメンの原型と思われる中華麺(経帯麺)がすでに日本に伝わっていたという記録が、室町時代の僧侶が残した日記「蔭凉軒日録(いんりょうけんにちろく)」に残っていました。
今、私たちが「ラーメン」と呼ぶ料理が日本で一般的になったのは、「明治時代」。
横浜などに、中国料理店ができてからの話です。
「横浜繁昌記(1903年)」によると、
「中国から来たそば料理」という意味で、「支那そば」、または「南京そば」と呼ばれていて、最初からラーメンと呼ばれていたわけではありませんでした。
では、なぜラーメンと呼ばれるようになったのでしょうか?
奥村さん「北海道大学の前に、大正10年に竹家食堂というお店がお店ができる。その経営者の奥さん、大久タツさんが『ラーメン』と名前をつけた」
( ※以下の文には、こうだったんじゃないかという話も含まれています。)
当時、タツさんは、覚えすく親しみやすいメニュー名を考え出さなければいけない「ある事情」がありました。
北海道大学に通う中国人留学生に人気だったこのお店のメニューが、
「肉絲麺(ロースーメン)」。
青椒肉絲の「ロースー」で、細い牛肉とタケノコの炒めものがのった麺料理で、中国人留学生だけでなく、たくさんの日本人も訪れるようになりました。
そんな中、タツさんには気がかりなことがありました。
日清戦争(1894年〜1895年【明治27〜28年】)以降、中国人を見下すような表現として、「支那(しな)」と呼ぶ日本人が少なくありませんでした。
そのため、中国人留学生の客の前で、肉絲麺のことをあえて「しなそば」という人もいたのだとか。
タツさんは嫌な思いをさせまいと、お客が呼びやすい新しい名前を考えていました。
ある日のこと、いつもの「好了(ハオラー)」と言うご主人。
これはタツさんに「料理ができたよ!」という合図の言葉。
これをきっかけに「ハオラー」+「ロースーメン」=「ラーメン」の名称が生まれました。
この「ラーメン」は呼びやすく、日本人も「しなそば」ではなく「ラーメン」で注文したといいます。
この後、竹家食堂は、昭和18年、食糧難などの理由で閉店。しかし、ラーメンという名前が週刊誌で取り上げられ、「ラーメン」という名前が広まり初めます。
さらに、昭和33年、世界初のインスタントラーメンが、発売されテレビコマーシャルで「ラーメン、ラーメン」と連呼されることで、日本全国にラーメンの名が広まっていくのです。
今では、日本だけにとどまらず、世界中にその呼び名は広まりました。
ちなみに、ラーメンの名前の由来には諸説あって、中国語で「引く、引っ張る」を意味する「拉」という字を使って、「拉麺(ラーメン)」と呼ぶこともあります。