奄美の方のお名前には、名字に一文字が多いそうです。
芸能人でも、元(はじめ)ちとせさんや、中(あたり)孝介さんなど。
奄美の街のハンコ屋さんを見てみると、売れ筋のハンコはやはり一文字名字。そのほとんどが特注品です。
「祝(いわい)」「元(はじめ)」の名字がよく売れるというお店もありました。
一文字名字は、全部で何種類あるのでしょうか?
その数、なんと400種類。
なぜ、そんなに一文字名字が多いのでしょうか?
実は、江戸時代、薩摩藩に支配されていた奄美では、名字は一文字と決められた時代があったのです。
でもなぜ、一文字なのでしょうか?
それには、奄美の位置が関係していました。
当時、薩摩は中国と貿易することで、藩の力を高めたいと考えていました。
しかし、中国は貿易する相手を琉球王国などに限定し、薩摩を含む日本は入っていませんでした。
そこで、薩摩が目をつけたのが奄美。
奄美は中国と交流のあった琉球王国の一部と認識されていたのです。
ここでカギとなるのが、一文字名字でした。
薩摩藩が奄美を直接支配していることは隠蔽しなければならないので、中国と貿易をしたい薩摩藩が戦略的に奄美の豪族に一文字名字を名乗らせました。
その理由は、二字姓だと大和(やまと)=日本だと、すぐに分かってしまうため。
さらに、奄美で、一文字名字が増えたのには、もう一つ理由がありました。
当時、名字を持たない農民が大多数を占めていた奄美。
一文字名字を名乗れたのは、身分が(薩摩藩士、郷士格、農民)とある中で、郷士格(ごうしかく)という武士と同様の身分を与えられた人たちだけでした。
そこで、奄美の人たちは、ステータスシンボルだった一文字名字を得ようとします。
そのうちの1つが、西郷どんの世話をした愛加那家の実家、「龍」という一族。
龍家は広大なサトウキビ畑を所有し、薩摩藩の財政に貢献した名家でした。
この「龍」という名字は、西郷どんが暮らした村「龍郷」から一字をとって名乗ったといわれます。
他にも、藩の財政に貢献した「芝村」の「芝」家や、伊仙の「伊」家など、地名から一字をとった一文字名字が次々と誕生。
こうして、幕末の頃には100種類を超える一文字名字が生まれていったのです。