今年(2018年)7月、長崎と熊本県 天草地方の教会や集落などが、世界遺産に登録されました。
キリスト教が禁止されていた時代、密かに信仰を続けた人々にまつわる12か所の文化遺産です。
例えば、多くの信者が処刑された、平戸の中江ノ島。
迫害から逃れ、海を渡ったキリシタンが暮らした、五島列島の野崎島の集落跡 など。
そんな中、1つ気になるのが、登録された名前。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
あれ?「潜伏キリシタン」?
「かくれキリシタン」じゃないの?と、思っている人も多いのではないでしょうか?
学校の教科書で、「かくれキリシタン」と学んだ人もいると思います。
それぞれ呼び名が違うだけかな?と思いきや、
実は、かくれキリシタンは、本来のキリスト教徒とは違うのです。
江戸時代から明治にかけて、幕府の警戒心から、日本ではキリスト教が禁止されていた。
その間、密かにキリスト教を信仰してきた人たちのことを「潜伏キリシタン」という。
その後、明治になって信仰の自由が認められ、キリスト教が禁止されなくなった。
その結果、潜伏キリシタンは、2つの道に分かれた。
1つは、本来のカトリックに戻った人たち。
もう一方が、「かくれキリシタン」と呼ばれる人たち。
仏教徒を装ったりした独自の信仰をそのまま続けた人たちのことで、
カトリックの教会に戻って本来のキリスト教の信仰のやり方ではなく、これまで通りの信仰を守り続けました。
自分の親がお祈りをしていた、それを守るのが子どもの務めだと思う人は、わざわざカトリックに戻るということをしなかったといいます。