秋に、紅葉を見に行くことを「もみじ狩り」というのに対して、
春に、桜を見に行くことを「お花見」といいますが、なぜ「桜狩り」とは言わないのですか?
という話がありました。
実は昔、桜を見ることも「桜狩り」と呼ばれていました。
なぜ、植物を見ることを「○○狩り」というのでしょうか?
もみじ狩りも、桜狩りも、平安時代に生まれた言葉ですが、
そもそも、「○○狩り」というのは、今でも「イノシシ狩り」や「きのこ狩り」という言葉があるように、「山に入って何かをとってくる」という意味なのです。
平安時代の貴族は、花が咲いた桜の枝や、紅葉したもみじの枝を折って持って帰ってきて鑑賞したり、かんざしや着物の帯に差したりして、オシャレとして楽しんだ。
つまり、山に入って桜やもみじの枝をとってきていたところから「狩り」という言葉が付けられました。
でも、なぜ桜狩りという言葉は消えたのでしょうか?
実は、平安時代に起きた「ある出来事」のせいで消えたのです。
平安時代初期、貴族の間では春になると桜の枝を取りに行く「桜狩り」が、大ブームになっていました。
ところが、御所で暮らしていた当時の仁明天皇は、安全上めったに外出することを許されなかったため、桜狩りに行くことができず、貴族たちが取ってきた桜の枝を見ることしかできませんでした。
そんな中、仁明天皇は、834年に清水寺へ出かけた際、桜の木を見かけました。
初めて見た桜の木に感動した仁明天皇は、御所にあった梅の木を全て抜き、山から持ってきた桜の木に植え替えさせました。
そして、貴族たちも仁明天皇をまねて、自分の屋敷の庭に桜を植えるようになっていきました。
そのため、わざわざ桜を見るために山に入って桜狩りをする必要がなくなりました。
そして、「桜狩り」という言葉は使われなくなり、「花見」という言葉だけ残るようになったのです。
一方、紅葉はたくさんの木々が色づく美しさが魅力。
山へ見に行く「もみじ狩り」の習慣は残ったのです。