小学校で使う「ランドセル」の言葉の由来は、オランダなのだそうです。
しかし、オランダで、ランドセルと言っても通じないのだとか。
いったいどういうことでしょうか?
時は明治5年、まだランドセルそのものがまだない時代。
当時開校したばかりの小学校に通う子どもたちが、勉強道具を入れていたのは、風呂敷や巾着袋。
裕福な家の子たちの場合、それを馬車や人力車にのせて、使用人が運んでいました。
そして、後ににランドセルと言われるものがある学校で生まれます。
皇族や華族の子どもが通っていたスーパーおぼっちゃま小学校「学習院初等科」。
明治23年にまとめられた校則を見ると、
「途上、必ず背嚢(はいのう)を負うべし」、
つまり、「自分で学用品を入れた背嚢を背負って登校しなさい」と定めていました。
「背嚢」とは、日本陸軍も使っていた軍事用のリュックサックのこと。
当時の日本は欧米立国に負けない強いリーダーを育てるために、子どもたちを鍛えたかったのです。
本革製の重い背嚢に勉強道具を入れて歩くことで鍛錬になると、明治の初めから使われだしたといわれています。
しかし、まだ、この時の名前は「背嚢」。
明治18年の先生方の業務連絡日誌のようなものを見てみると、
「生徒が身につける書物入れは これから欧州列強国にならい 歩兵用ランドセルの形に統一する」
とありました。
背嚢はオランダから入ってきましたが、実はオランダ語では「ランセル(Ransel)」といいます。
ではなぜ、日本ではランドセルと、途中に「ド」が入っているのでしょうか?
実はオランダでは、ランセル(Ransel)の他に、レンとセル(Rentsel)や、ランゼル(Ranzel)など、地域ごとに違う言い方があり、
日本に伝わるうちに混じり合って「ランドセル」になったといわれています。
明治という新しい時代に、軍のイメージが強すぎる背嚢という名を捨て、子どもたちを健やかに育てたいという重いがランドセルには込められているのです。