なぜ、おじぎをする?という話がありました。
これについて、民俗学者の神崎宣武 先生が 説明していました。
「頭を下げる」ということにたどっていけば、世界中で、神様に対して礼儀ということで、行われてきたといえる。
「神様に対して頭を下げる行為」は、古くから世界中のさまざまな宗教や信仰において行われてきた。
ところが、日常的に人間同士が「おじぎ」を交わすという、日本独自の習慣が発展していった。
平安時代に「伴大納言絵詞(ばんだいなごんえことば)」という絵巻物があり、ここに、目で確かめられる最古の「おじぎ」が登場する。
それは、放火の疑いをかけられた左大臣の源信(みなもとのまこと)が、自らの無実をお天道様に祈る瞬間。
両膝をついて足はつま先立ち。足の裏がはっきりと見える。この形が日本のおじぎの原型と言われる「跪拝(きはい)」。
かつては神様・仏様だけに対してだけおじぎをしていたというのが、文献や絵図から辿れる。
ところが、鎌倉時代になり、武士が国を治めるようになると、頭を下げる動作は、人間に対しても使われるようになる。
戦や武力闘争の末に成立した武家社会は、厳しい身分制度や規律によって、世の安定が保たれていた。
こうした社会の中で「おじぎ」は細分化していく。
場面や対人関係によって、「おじぎ」を使い分け始めた。
例えば、武家の礼法の1つ「小笠原流」では、「九品礼(くほんれい)」という9種類のおじぎがある。
・目礼(もくれい)・・・目を動かす礼、天皇や将軍などが行う
・首礼(しゅれい)・・・天皇や将軍などが行う
・指建礼(しゅけんれい)・・・目上の人の話を聞くときなど
・爪甲礼(そこうれい)・・・目上の人の話を聞くときなど
・折手礼(せっしゅれい)・・・身分が高い人が行う
・拓手礼(たくしゅれい)・・・同輩に対する礼、作動でも使用
・双手礼(そうしゅれい)・・・同輩への深い礼など
・合手礼(ごうしゅれい)・・・目上の人に対する深い礼
・合掌礼(がっしょうれい)・・・神仏に対する礼
あいさつをする相手や場面によって、おじぎを使い分け、秩序を保っていった。
ただし、これは、あくまで座敷で行う「座礼(ざれい)」。
座敷の礼儀作法と、屋外の礼儀作法は違う。
例えば、江戸時代の参勤交代。
大名行列が通る際は、誰もが土下座をして、地面にひれ伏したと思いがちだが、実はそうではなかったという。
大名を前に、いわゆるヤンキー座り。
屋外で土下座というのは、あくまでも 小説・映画で出てくる姿勢で、屋外の おじぎ の作法は決まっていなかった。
しかし、明治時代になると、現代のおじぎにつながる大きな変化が起こる。
畳中心だった生活から、イスを使うようになった頃、武士の作法であったおじぎは、庶民の生活にも取り入れられていく。
座った礼を立った礼にする「立礼(りゅうれい)」が登場する。
明治15年、学校教育の礼儀を記した「小学諸礼式」には、「立礼」の作法が書かれている。
「立礼に 最敬礼 及び 敬礼の二つあり」
最敬礼は・・・
「最敬礼は帽を脱して 左の脇に挟み 腰をかがめ 右手を膝に当て 拝す」
「帽を着せざる時は 腰をかがめ 両手を腰の上に当て 拝す」
敬礼は・・・
「敬礼は 帽を脱して 少し傾く」
「帽を着せざる時は それ 頭を傾くのみ」
とある。
江戸時代に200以上あった藩を 1つの近代国家にまとめる際、全国民共通のあいさつとして学校で教えられたのが「おじぎ」だった。
「起立 礼 着席」
こうして、武家社会の作法だった おじぎは 学校教育に取り入れられ、庶民の生活に広く浸透していった。