「厄年」って何?という話:チコちゃんに叱られる!【2021/01/22】

厄年」とは何か?という話がありました。

これについて、厄年をはじめ 日本文化を研究している斗鬼正一 先生 (江戸川大学 名誉教授)が説明していました。

多くの地域では、現在、厄年(数え年)は、

男性 25歳・42歳・61歳
女性 19歳・33歳・37歳

とされている。(※地域や神社によって違いあり)

数え年とは、生まれた時を1歳とし、元旦を迎えると年齢が加算される。

現在、私たちが使っている満年齢に対し、1もしくは2歳足した年齢になる。

厄年は災難を受けやすいというイメージで、ネガティブな面ばかりが強調されているが、

実は、人生の大事な節目、ハレの年齢とも考えられてきた。

一般的に、厄年の年齢は、一生の中でも、家庭や社会などにおいて転機を迎え、生活にも変化が起きるため、精神的・身体的に不安定になり、病気やけがになりやすいと言われている。

そのため、厄年には、身を慎むべき・警戒すべきという意味も含んでいると考えられる。

では、そもそも厄年とは何か?

実は、この「厄年」、「役割」の「役」という字を書いて「役年」とも言い、地域共同体において重要な地位や「役割」を担う年齢になったことを指している。

つまり、「厄年」は「役年」であり、今より責任ある立場にステップアップする年を意味していた。

では、役年になると、どのような役割を担ったのか?

男性の数え年で25歳の場合

江戸時代では、一般的に結婚して家庭を持つ年齢とされていた。

社会の中でも、一人前の大人として扱われるようになり、農村では田畑の管理や作物の収穫など、責任ある仕事を果たすようになる。

男性の数え年で42歳の場合

家庭の中では、自分の父親が隠居し、家長を譲り受ける頃で、一家の責任者になる。

村の行事などでも、中心的な存在になり、神社のお祭りなどを取り仕切るなど、重要な役割を担う。

実際に、毎年10月に行われる富山県黒部市の「生地たいまつ祭り」は、42歳の厄年を迎えた男衆が神輿を担ぎ役400本のたいまつが燃える参道を駆け抜ける、という大役を担う。

男性の数え年で61歳の場合

江戸時代では、長老と呼ばれ隠居する年齢。

社会の中では、年長者として人生経験を生かして、何かあると意見を求められる立場になる。

女性の数え年で19歳の場合

男性の25歳と同じく、江戸時代では一般的に結婚する年齢。

女性の方が若く家庭に入るのが一般的で、同時に出産という大役も担う。

女性の数え年で33歳の場合

それまで、よそ者という立場だった嫁が、ようやく嫁ぎ先の一員と認められる年齢。

実際に、新潟県の佐渡市で、昭和30年ごろまで続いた佐渡市の儀礼では、女性は33歳になると、呼び名が「嫁」から「母さん」に変わり、自分の意見を聞いてもらえるようになったと言われている。

女性の数え年で37歳の場合

一般的に、結婚してから20年近く経っている頃になる。

姑から嫁に対して、江戸時代では、「しゃもじ渡し」「へら渡し」という儀式が行われる年齢。

「しゃもじ」や「へら」は、食べ物を分配する道具として、主婦の象徴。

「しゃもじ(へら)渡し」は、姑から嫁に家事全般の権利を譲る というもの。

正式に一家の主婦として、今度は、家事や家計の責任者としての役割を担う。

ちょうど、同じ頃、夫は42歳で家長になり、夫婦で家を取り仕切る年齢となる。

厄払い

一般的に、神社での厄払いは、まず受付で申込書に記入する。

厄除けはご祈祷のひとつになるので、「備考欄」には、「具体的なお願い事」などを書く。

申込書を書き終えたら、祈祷料を渡す。

「ただいまより、◯◯殿の後厄に際します、厄除けの祈願祭ご奉仕を申し上げます」

祝詞(のりと)の奏上。

「かしこみ・・・かしこみ・・・(祝詞)」

「東京都は◯◯区・・・」

住所・氏名が読み上げられたら、次に願いごとが読み上げられる。

「厄除け祈願にあわせ、そが両親が我がまなこを思い、良き人と結ばれ温かき家居(いえい)を築き、また日々の営みのなか、レンタルDVDの返却を定めまでの日に抜け忘れを気をつけるむるべくなどの、心の祈ぎ事をも乞い祈み奉り(こころのねぎごとをもこいのみまつり)・・・」

全ての儀式が済んだら、お札やお守りを頂いて終了。