五円玉が金色なのはなぜ?という話がありました。
これについて、造幣局の泉和也さん(造幣博物館 館長)が説明していました。
造幣局では、「五円貨幣」が正しい名前。
五円玉の材料は、「鉛」と「亜鉛」を混ぜて出来る黄色い銅。
銅に、亜鉛という金属を30%以上混ぜると、「黄銅」になる。
黄銅は「しんちゅう」とも呼ばれ、トランペットなどの管楽器の材料にも使われる。
銅に亜鉛を混ぜていくと、黄色みを帯びてきて、銅6に亜鉛4の割合が、金の色に近いといわれている。
5円玉の成分は、銅(70%〜60%)、亜鉛(30%〜40%)。
一定の成分量ではなく、バラツキがある。
本来、お金で使う材料の成分は、一定でなければならないが、
五円玉の黄銅には、バラツキが出た歴史があった。
明治4年(1871年)に、硬貨を製造する造幣局が誕生する。
明治から、大正時代、硬貨の材料として使われた金属は、「金・銀・銅・ニッケル・スズ・亜鉛」の6種類。
この時代、金や銀が硬貨に使われていた。
しかし、純金1.5gを含んだ、一円金貨は、現在のお金の価値で、1万円ほどにあたるため、
一般の人が気軽に使えるものではなく、ほとんど流通していなかった。
一方、庶民が使っていた、当時の 一銭や 一厘硬貨、いわゆる小銭は、銅を主な材料とした金属で出来ていた。
しかし、昭和になり、日中戦争(昭和12【1937】)が始まると、硬貨の製造に大きな影響が出た。
当時、硬貨の材料となっていた銅とニッケルは、兵器の材料としても重要な金属で、
銅は主に銃や大砲の弾、ニッケルは戦艦などに使われていた。
そのため、ニッケルは昭和13年以降、銅は昭和15年以降、硬貨の材料には使われなくなった。
そこで、新たに硬貨をつくる金属として採用されたのが、
現在の 一円玉と同じアルミニウムだった。
しかし、そのアルミニウムも、戦闘機の部品として使われ始める。
そして、昭和20年、金属資源を守るために作られたのが、
土から作った陶器製の硬貨。
実際に製造を開始したが、この年に戦争が終わったため、陶器の硬貨は世の中に出回ることはなかった。
戦争が終わり、造幣局では、新しい硬貨を作ることになる。
しかし、この時、造幣局には材料がほとんど残っていない。
そこで、新たな材料を探すと、戦争で大量に余ったある金属が見つかった。
日本軍が使用した使わなくなった銃や大砲の弾など、
硬貨の材料になる黄銅、約6000トンが造幣局に払い下げられた。
そして、昭和21年、銃や大砲の弾を溶かして最初につくられた硬貨が、五十銭黄銅貨。
しかし、戦後間もない頃は、どんどんものの値段が高くなっていった。
そこで、2年後の昭和23年、五十銭黄銅貨を廃止して、同じ大砲の弾の材料からつくられたのが、
こちらの五円硬貨と一円硬貨。
この2つの硬貨、大きさこそ違うが、見分けがつきにくかったため、
翌、昭和24年、材料の節約も兼ねて、穴あきの五円硬貨が誕生。
戦争の遺物から生まれたこの五円玉には、農業を表す「稲」、工業を表す「歯車」、水産業を表す「水」が刻まれ、
戦争からの復興の願いが込められた。
成分にバラツキがあるのは、五円玉の材料となった銃や大砲の弾は、陸軍や海軍の弾の違いなどで、
銅と亜鉛の割合にバラツキがあったから。(7対3、6対4など さまざま)。
しかも、古い五円玉も溶かしてリサイクルするので、どうしても五円玉の成分にバラツキがでる。
今の五円玉にも、当時の大砲の弾の成分が少しは含まれているかもしれない。