自由研究ってなに?という話がありました。
これについて、学校の歴史を研究している 木村元 先生(一橋大学 大学院 社会学研究科 特任教授)が説明していました。
自由研究は、もともと国語とか算数と同じように、小学校や中学校の強化の1つだった。
日本の学校では、どの地域でも同じ教育が受けられるように、
「学習指導要領」という基準がある。
1947年に出された学習指導要領には、
左側に教科、学年ごとに、時間と授業数が書かれている。
「国語」「社会」「算数」とあって・・・、一番下に「自由研究」。
4年生から教科となり、毎週2時間から4時間行うようになっている。
「自由研究」は、戦後の「経験主義教育」その考え方をもとにしてできた教科。
実際にやってみて、経験した中から学ぶのが「経験主義教育」。
当時の小学2年生が使っていた算数の教科書を見てみると、
「お店ごっこをしましょう」という書き出しから始まり、
「お店の品物を粘土で作る」「画用紙を切っておもちゃのお札を作りましょう」
などと、4ページにわたってお店ごっこのやり方を説明。
そのあとに、ようやく計算問題に取りかかっている。
自由研究は、子どもたちが他の授業で興味を持った、例えば、習字の練習や理科の観察など、社会に出てからも役立つことを子どもたちの個性に合わせて、自由に勉強する時間だった。
しかし、1947年に始まった自由研究は、4年後の学習指導要領を見ると、教科からなくなっている。
1つの自由研究の科目では、いろんな関心を持った子どもの要求を満たすことが難しかった。
更に、日本は、高度経済成長期へと突き進んでいた時代。
社会に出るために、多くの知識が求められるようになり、経験主義教育から知識を順を追って学ぶ、
「系統主義教育」へと、方針が変わっていく。
そのような時代の流れも、自由研究を授業でやらなくなった理由の1つかもしれない。
では、教科ではなくなった自由研究が、なぜ宿題として残ったのか?
4年で消えた幻の教科「自由研究」は、
「子どもたちに興味のあることを思う存分学んでほしい!」という
先生たちの熱い思いによって、現在に受け継がれているという。