学校で教室の掃除をするのはなぜ?という話がありました。
これについて、学校の掃除の歴史に詳しい 山本宏樹 先生(大東文化大学 文学部 准教授)が説明していました。
学校で教室の掃除するのは、子どもたちに、「チューラパンタカ」みたいになってほしいから。
お釈迦様の弟子の一人で、この人が学校の掃除に深く関わっている。
そもそも、日本の学校で、掃除が始まったとされるのは、室町時代。
当時の「学校」と言えば、お寺だった。
お寺では、読み書きの他に、仏教のお経を通して人の道を説く、
今で言う「道徳」も教えられていた。
そこで、教材として使われていたのが、
「根本説一切有部毘奈耶(こんぽんせついっさいうぶびなや)」というお経。
そこには、「よい行い」や「教訓」などが書かれていた。
このお経に登場するのが、チューラパンタカ。
悟りを開いて、「阿羅漢」という、もうそれ以上勉強する必要のないレベルまで達した人。
阿羅漢とは?
究極の悟りを開いた仏教修行者の最高位
最後はすごい人になったが、もともとは、一文字覚えるともう一文字忘れてしまう物覚えの悪いダメな人だった。
ダメな人物が、なぜ教材となるような立派な人物となったのか?
そこには、こんな物語があった。
「チューラパンタカものがたり」
むかし、お釈迦様の弟子に2人の兄弟がいた。
賢く努力家な兄は「マハーパンタカ」
物覚えの悪いダメな弟は「チューラパンタカ」
チューラパンタカは、お経をただの1つも覚えられなかったので、
周りの弟子たちから、いつも馬鹿にされていた。
周りの弟子たち「兄さんは、あんなに賢いのに、弟のチューラパンタカはひどいじゃないか」
そんな、ダメな弟にしびれを切らした兄は、
兄「チューラパンタカ、あなたにお釈迦様の弟子はつとまらない、このお寺を去って父と母の元へ帰りなさい」と言った。
チューラパンタカ「兄さん、そんなこと言わないで下さい。私はここにいたい。」
兄「ダメだ。あなたはここにいてはいけない」
兄の厳しい言葉にショックを受けたチューラパンタカは、お寺の前で泣いていた。
すると、そこへ、お釈迦様が現れた。
お釈迦様「チューラパンタカよ、なぜあなたは泣いているのか?」
チューラパンタカ「お釈迦様、私は、お経もろくに覚えられないダメな弟子なので、ここを去ろうと思います」
それを聞いた、お釈迦様は、チューラパンタカに、一本のほうきを渡しこう言った。
お釈迦様「塵(チリ)を払(はら)い、垢(あか)を除(のぞ)かん」
お釈迦様「この言葉を唱えながら、お寺を掃除しなさい」
明くる日からチューラパンタカは、その言葉を一心に唱えながら、お寺を掃除した。
来る日も来る日も、繰り返しその言葉を唱えながら掃除をして、3年が過ぎたある日。
チューラパンタカは、ハッと気づいた。
毎日毎日掃除しているのに、全然、塵や垢はなくならない。
そうか!これは心の塵、心の垢と同じなんだ!どんなにキレイにしても心に塵や垢は出てくる。
だから、これからも毎日心を磨き続けなくてはならないのだ!
お釈迦様「よくやった、チューラパンタカよ」
周りの弟子「やった!やった!チューラパンタカ、すごいじゃないか!」
こうして、チューラパンタカは、他の人のお手本となるような立派な人物になった。
このチューラパンタカの有名な逸話もあって、仏教では掃除をすることが修行のひとつとなった。
それが、お寺の学校で取り入れられ、子どもたちは掃除をするようになった。
さらに、それは、江戸時代の寺子屋にも引き継がれ、明治時代以降も、学校での掃除の習慣が現在まで続いている。
こうして、日本の学校では、掃除をするようになった。
現在は「子どもたちが強力して生活していく」という教育目的で、学校の掃除が行われている。