超ド級の「ド」ってなに?という話がありました。
超ド級のアクション大作など、圧倒的にすごいもの、
とてつもない様子を表す、超ド級の「ド」とは何なのか?
これについて、戦史研究家の白石光さんが説明していました。
現在では、「圧倒的にすごい」「ぬきんでた存在」など、
ケタ外れなことを表現するのに、よく使われる超ド級の「ド」は、
イギリス海軍が1906年に造った戦艦ドレッドノートの「ド」。
19世紀から20世紀にかけて、世界一の海軍力を誇っていたイギリス。
そのイギリス海軍が、世界中を震撼させたのが、
英語で「恐れるものなし」という意味で名付けられた「ドレッドノート」。
この船は、それまでの戦艦とは比べものにならないほどの圧倒的な戦闘能力を備えていて、
それが登場した時、世界中に非常に大きなインパクトを与えた。
当時の戦艦は、一番強力な主砲は4門ほどだったが、ドレッドノートは倍以上の10門も装備していた。
それまでの戦艦は、一番遠くまで届く主砲が2基3門程度と、それに続く中間砲、さらに小さい副砲を装備しているのが、一般的だったが、
イギリス海軍は、これからの海戦は、できるだけ遠くから同じ場所を目がけ、
主砲を一斉に発射することで、勝負が決まると見抜き、それに対応した戦艦をいち早く造った。
ドレッドノートは、中間砲や副砲を全て取り除き、強力な主砲を5基10門装備。
さらに、従来の戦艦は、砲ごとに、別々に狙いを定めていたため、命中率はよくなかった。
一方、ドレッドノートは、1か所の観測所で狙いをつけて、主砲を一斉に発射できるようになり、命中率が格段に上がった。
ドレッドノートの出現に驚いた各国は、同じような戦闘能力を持つ戦艦を一斉に造り始めた。
そして、このようなタイプの戦艦を世界では総じて、「ドレッドノート」と呼ぶようになり、
日本では、ドレッドノートの頭の「ド」をとり、「弩級戦艦(どきゅうせんかん)」と呼んだ。
世界を驚かせたドレッドノートだが、誕生してから4年後の1910年、同じイギリスで、
ドレッドノートを上回る戦闘能力を備えた「オライオン」という戦艦が誕生した。
オライオンは、ドレッドノートよりも、大型の大砲を装備していたことから、
「スーパードレッドノート」と呼ばれた。
このスーパードレッドノートを、日本では、弩級よりもすごい「超弩級戦艦」と表現した。
ちなみに、日本初の超弩級戦艦が「金剛」。
当時、世界最大の大砲を積み、最強とうたわれたこの戦艦は、完成から25年以上あとの太平洋戦争まで使用された。
まさに超弩級の戦艦。
そして、戦艦の規模を表していた「超弩級」という言葉は、
大正時代以降には、本来の意味から転じて、人や物に対し、「圧倒的にすごい」「ぬきんでた存在」という意味で、広く使われるようになった。
ちなみに・・・、
同じ「ド」を使った言葉で、「どアホ」「ド派手」「ど根性」などの「ド」は超ド級の「ド」とは違い、
この強調するための「ど」は、江戸時代に関西地方で使われだしたという。