冷たいことをなぜ「冷たい」と言うのか?という話がありました。
これについて、言葉の歴史に詳しい、
小木曽智信 先生(国立国語研究所 教授)が説明していました。
元々は、温度が低いことを言う言葉は、「冷たい」ではなく「寒い」と言っていた。
日本最古の和歌集「万葉集」には、
「夕されば 衣手寒し高松の(夕方になると衣の袖が冷たい)」とある。
これは、「ひんやりする」という意味で、「冷たさ」を表す言葉として「寒い」が使われている。
本来だと、「寒い水」「寒い氷」というような言い方になるはずだが、
平安時代に、例えば、氷水に手を入れた人が、爪が痛いという意味で「爪痛し」と言ったことから、
庶民の間で広まって、それが転じて、
つめいたし → つめたし → 冷たい
という今の言い方に変わっていったと考えられる。
昔は、暖房も給湯器もない、真冬の洗濯は手が冷えて本当につらかった。
(水温が約10℃なら耐えられるが、水温が約1℃は爪が痛くなる)
「爪痛し」という「痛み」を表す言葉が、「寒さ」を表すようになった理由は他にもある。
痛みと寒さには、感覚として共通点が多い。
例えば、真冬に半袖で外に出た時に、肌がピリピリしたり、
水風呂に入った時なども、肌の表面がジンジンしたり、
痛みに似た感覚を感じることがある。
この温度の低さによって感じる「痛み」が、次第に「寒さ」や更に「触れたものの温度の低さ」を
表す意味として、使われるようになった。
このように、痛みを表していた「爪痛し」から、触ったものの温度の低さに変化した「冷たい」。
しかし、現代では「冷たい態度」や「冷たい言葉」など、痛みとは直接関係ない人の感情にも、
「冷たい」という言葉が使われている。
これは、なぜか?
人の態度にも転じて使われるようになったのは、江戸時代。
花柳界の芸子さんや遊女がいる、男女の色恋がとても盛んな中で、
女性のそっけない態度が、男性にとって「寒さ」や「温度の低さ」を連想させて、
そこから人の態度に対して、「冷たい」という言葉が、広く使われるようになった。
例えば、当時の洒落本「当世粋の曙(とうせいすいのあけぼの)」でも、
「夏の温石と女郎の心はつめたい」というような慣用句が多く使われている。
「温石(おんじゃく)」とは、石を温めて布に巻いて暖をとるカイロのようなもの。
冬は温かいけれども、夏は冷たいまま放っておかれる。
同じように、女性が冷たくなりがちだ。という例え。
このように、感情の「冷たい」が多く使われていた。
当時の花柳界では、男女を温度に例える粋な言い回しが使われていたため、
それが世に広まり、多くの人たちが使うようになった。
ちなみに・・・
皮膚外科医の野田弘二郎 先生によると、
爪には神経が通っていないので、実際には、爪が痛いわけではなく、
爪の下の「爪床(そうしょう)」と呼ばれる部分があり、
そこに知覚神経が集中しているため、冷えると痛みを感じる。
とのこと。