韻を踏むと、なぜ気持ちいい?という話がありました。
これについて、慶應義塾大学で言語学を研究している、川原繁人 先生が説明していました。
まず「韻を踏む」っていうのは簡単に言うと、似た響きの音を繰り返し使う手法のこと。
歌やラップ、詩やキャッチコピーなど、様々なところで使われている。
わかりやすい例で言うと、2023年に話題になったYOASOBIの「アイドル」。
その歌詞を見てみると、
最後を「ない」や「外」など、母音を「a-i」で繰り返し、韻を踏んでいる。
では、韻には、どんな種類があるのか?
大きく分けて2種類で、「脚韻」と「頭韻」がある。
例えば、こちら。
この韻は、おしりの母音をそろえる「脚韻」。
こちらは、おしりの母音を「a-a-i」で3つもそろえている「脚韻」。
一方、こちらの韻は、「頭韻」で、頭に繰り返しを持ってくる方法。
ところで、一体、いつから韻を踏むことが、行われていたのか?
日本最古の和歌集である「万葉集」で、既に韻を使った歌が詠まれている。
例えば、天武天皇が詠んだ歌では、
と、吉野の良さを「頭韻」で表現。
江戸時代には、米沢藩主の上杉鷹山が、
と、家臣を勇気づける句を「頭韻」で表現。
戦後、日本に元気を与えた、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」も、
「u-i-u-i」という母音を繰り返しながら、
言葉の頭に「ブ」や「ズ」の濁音も繰り返す、頭韻・脚韻のそろい踏み。
韻は、人間の心を気持ちよくする性質をもっている。
韻のリズムには、気持ちよくさせる要因がある。
昭和のヒット曲、吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」では、
と、「無ェ」が続くことで、リズムが生まれ、思わず、気持ちいいと感じてしまう。
韻を踏むと気持ちよくなる要因がもう一つある。
それは、制約から生まれる驚き。
例えば、SEKAI NO OWARIの「Habit」という歌を聴いてみると、
と、頭で「こ」を繰り返しながら、おしりでも「o-u-u-u」と母音を揃える韻を踏んでいる。
この歌詞は、
【1】メロディー内におさめる
【2】頭を揃える
【3】おしりを揃える
【4】歌詞の意味が通る
と、多くの制約の上に成り立っている。
つまり、スポーツのスーパープレーを見た時のような、驚き・達成感を感じる。
この驚きが、韻が作り出すリズムと一緒に味わえるから、我々は、気持ちよく感じられる。
ここで、医学的に、韻を踏んだ時の脳波を調べてみる。
言語学や脳科学を研究している堀田秀吾 先生(明治大学 教授)が説明していました。
「韻のあるラップ」と「ないラップ」をランダムに聞かせ、脳波の違いを計測。
結果がこちら。
注目ポイントは、α(アルファ)波。
韻ありと、韻なしを聞いた時の脳波を比べると、韻ありのときα波が大きくなっていた。
このα波は、幸福感・集中力・リラックスに関係している。
ラップを聞いてる人は、韻を踏むことを期待して、聞いてる。
だから、期待どおりに 韻を踏んでくれると、幸福感が得られる。
一方、ラップを歌っている人の脳波を見てみる。
「韻あり」「韻なし」の脳の働きを見える化した図が こちら。
色が赤いほど活発で、青いほど落ち着いている状態。
韻ありラップは、いろいろ考えながらやってるようなイメージがあるが、
脳波を見てみると、青い状態の所が多い。
注目すべきは、脳の前頭葉から側頭葉と呼ばれる部分。
人は前頭葉で言葉を話し、側頭葉で言葉を理解していると言われている。
韻を踏む時こそ、言葉を探して、脳が活性化していそうだが、
「韻なし」の時よりも、むしろ、脳の活動が落ち着いていた。
更に 脳の感情をつかさどる部分も青くなっており、
全体的に、脳は活発に動いていない。
つまり、全体的に青くなっていて、非常にリラックスした状態になってる。
エンジンでいえば、アイドリング状態。
一方、韻なしの脳は、言葉をつかさどる部分が、活発な状態になっていた。
これは、韻を踏まないように、必死に言葉を探している集中した状態。
韻を踏んでいる時は、リラックス状態になることで、脳全体が働くため、
脳全体から言葉を引き出せるようになり、ラッパーは、次々と言葉をつなげることができる。
結局、韻を踏んだ文を言っている人も、聞いてる人も気持ちよくなっているということが言える。